風に身をまかせて
風に身をまかせて、流れるままに生きる。それは楽なように見えるけど、少し 怖い。
「進路アンケート、今日までに回答しとけよ。」
流されて生きるのが楽なんじゃない。流されて生きることしか出来なくなるのが楽なんだ。自分では何も決められない、その状態が一番怖い。それならいっそ、何も決めずに流れるままでいた方が良いって、きっとそう勘違いしてしまうから。
別に風の行き着いた場所で芽が出なくても、その場所で馬鹿にされて、笑われたとしても。人の想いは一つだけじゃないから。種子を増やすために、よく分からない人生を一生懸命に生きているから。もし少しでも、一つでも、自分自身の想いを持っているのならば、風に逆らってみても良いのかもしれない。
「つまりだよ?別に焦って今すぐに決める必要も無い訳なんだよ。」
池に落ちている無数のもみじの種は風に身をまかせてしまったが、きっとどれかひとつは遠くの場所で、力強い芽が出ているのだろう。
「だからって、さすがに全部の提出物を出さないのは違くない?種子が減ってるよ??」
失われた時間
失われた時間なんて、
〈自分〉には分からない。
だってそれは、「失われた」時間だから。
だってそこに、《貴方》がいるから。
《貴方》の生きてきた時間は、
全て今の《貴方》に繋がっている。
《貴方》の生きてきた時間を、
今、《貴方》は思い出せる。
楽しかったことも、辛かったことも。
そしてそれを後悔したとしても。
その時間は『失われていない』
失われた時間なんて
誰にも分からない。
だから
失われている。
子供のままで
「ねぇ、なんでゴミを拾わないの?」
目の前の子供は、歩きながら私に叱った。
「道に落ちているんだから、拾って持って帰ろうよ。」
少女は道の途中にあったお菓子や空き缶などのゴミを、手に持った袋に入れていく。
「ゴミを道端に捨てないことは、当たり前のことなのに。なんでなの?」
「…人間だからだよ。」
ふにふにの頬をぷくっと膨らませた少女に、私はそう呟いていた。その言葉を口にして、慌てて自分の口を塞いだ。
子供の前で何を言っているのだ、と。
別に私だって、ゴミを拾わなくて良いとは思っていない。ただ、ゴミを拾う為の心の余裕と、体力と時間が圧倒的に足りていないからだ。これは大人だから、仕方の無い事と言えるだろう。
私にしっかりとした時間があり、心に余裕があって、もっと世界が輝いていて綺麗に見えていたのなら、快く進んでゴミを拾えているはずだ。
子供は羨ましいな、と思ってしまう。
『仕方の無いこと』と述べたが、実際は『面倒くさいから』という理由が大半になっているのではなかろうか。子供の頃の私は、『面倒くさい』などという言葉など知らずに、ただそれが『世の中の当たり前だから』『正義だから』という理由だけで動いていた。言ってしまえば、大人に言われたことだけを信じて実行する、小さき単細胞生物だったことだろう。
単細胞生物だから悪い、なんてことは無い。多細胞生物の方が、全てにおいて優れている訳でもない。
絶対に大人の方が良い訳でもない。必ずしも大人になる必要なんてない。
大人になれば、世界が美しくなんてないことに気がついてしまう。
ならば、
子供は大人にならず、子供のままで。
世のため人のためになることを、当たり前に、自ら進んで取り組めるような世界になれば良いのではないのか。
というより、大人が何もしなければ、子供は『正しく』育つのではないか。
大人は、あえて子供を子供のままにしないようにしているのでないか。
子供が『正しく』育ってしまったら、『人間』なんて存続しないから。子孫なんてつくらないから。
結局は大人が。大人の身勝手が子供を、子供のままにさせないでいる。
今目の前にいる私のクローンは、まさにかつての自分自身。
誤ちが繰り返すなら、私がこの手で
「でもあたしはちゃんと拾うよ。パパ、あたし偉いでしょ?」
「………。」
「パパ?」
「あぁ、そうだな。お前は私の自慢の娘だよ。」
いや、全てエゴかな。
愛を叫ぶ。
いつもありがとう。
モンシロチョウ
ずっと書くことないなとか思ってたけど、
そういえばあった。
モンシロチョウに対して思ってたこと。
モンシロチョウとモンキチョウってたまに
見分けつかないよね。