思考の階段をのぼる
幸せってなんだろう。
美味しいご飯を食べること?好きな人とすごすこと?
思考の階段をのぼる。埃の舞う灰色の世界。
幸せってなんだろう。
貧しい人に食べ物をあげること?友達にノートを貸してあげること?
思考の階段をのぼる。のぼり続ける。
ぐるぐるの迷宮から出られない。
幸せってなんだろう。しあわせって幸福ってこと?
私は幸せなのかな、誰が幸せなのかな、逆に、不幸ってなんなのかな。
空気の色が変わって、ボロボロの服を着た老人が階段に腰掛けているのが見えた。
「幸せってなんだと思いますか?」
ぼろぼろの老人はポケットから10円を取り出して答えた。
「足元にね、落ちてたんだよ。私も若い頃は上ばかりみていて気づかなかったんだが、やっと拾えた。やっと出られる」
老人はそう言うと腰を上げて下へと降りていった。
(何が言いたかったんだろう。10円なんて私も沢山持ってる。そんなのが幸せなのかな)
見上げると、階段は果てしなく遠く続いている。
突き抜けた先に見えるましろの空が、美しく輝いている。
そこへ行きたかった。あの空の先に幸せがあるから。
そしたらきっと、ここから出られる はずだから。
重たいぐるぐるが、心の内で渦巻いている。
私は不幸なのかもしれない。あの空に、手が届かない。
しあわせってなんだろう?あの老人は幸せなんだろうか
ぐるぐる少女は出られない。この思考の階段から。
おとなになるまで、大人になっても。
最初から、上に出口はないのだから。
日の出のイメージはふたつ
山の端に穴が空いて、太陽が真っ暗な大山を徐々に映し出していく。
海の向こう側、ほうとするほど長い水平の彼方からゆっくりと顔を出して、ほの暗い空にのぼっていく。
私は朝が苦手だから、日の出はイメージでしかわからない。モネの絵が、私の思う日の出のイメージ。
冬はつとめてというけれど、寒すぎてベッドから起き上がれない。
清少納言は私みたいに怠惰な人間のことがちっともわかってないらしい。これだから宮中暮らしは嫌だね。
今年も初日の出はみれなかった。多分来年も再来年もみれないと思う。
私はいつ本物の日の出がみれるのだろう。
きっとこんな風に夜中に物を書くのをやめた時だろうと、そんなことを考える。
抱負とはまた難しいお題。
私は三日坊主どころか三時間坊主だから抱負なんて三時間おきにころころころころ変わってしまう。
私はまだ子供だから学業を頑張るにしようか、それとも恋愛成就とかにしようか。
色々悩んで決めあぐねる。
毎年だれかに今年の抱負はなんだと聞かれるけども全く答えられた事がない。
本だって同じで今まで書いた作品に題名をつけたことなど一度もないし、小学校の頃の美術の時間にいちばん困ったのはタイトル決めだった。
頑張りたいことなんてないし、人生なるようになれと思う。
そんな感じで生きてきたのだからこれからもそれは変わらないだろう。
生きてればそれでいい。
だからまぁこれは当たり前なんだけども、今年を無事に乗り切ることを私の抱負にしようと思う。
年が明ければ何かが変わると思って、朝目が覚めて窓越しに外を見た。
冷たい風が首もとから服の中に入り込んできて寒い。
太陽は昨日より少しだけ温かく輝いてみえた。
重たい身体を上げてスマホをみるともう10時だった。
昨日あれだけ早起きしようと思っていたのに、結局いつもの通り太陽に叩き起された。
何かが変わると思っていた。だから新年は特別なんだし、みんなそれを祝ってるのだと思っていた。
けど、何も変わらなかった。変わったといえば地球がひとつ歳をとった。それくらい。
いい年ってなんだろう。人が変わらないのなら、去年と同じことが巡るだけなんじゃないだろうか。そうじゃないのなら、何が去年と違うんだろう。
きっと環境が変わるからだと思う。社会人になる人、大学生になる人、死んでしまう人。
そういう人たちが今年を去年と違うものにするのだと思う。
今日、変化を取り入れてみた。早起きはできなかったけど、久々に朝ごはんを食べた。
昨日と違う自分にはなれないけど、去年と違う自分にならなれるかもしれない。そう信じてみる。