『一年後』の未来では、ふわふわしていて地に足がついていない、いつまでも混沌の中を抜け出せていないように感じる自分の発言に、重力がのしかかっていますように。
『初恋の日』
私の初恋は中学一年生の夏頃だったかな。
朝、自分の机にカバンを下ろして、ふとその人を視界に入れると、理由も分からず胸の高鳴りが収まらなかったとこを今でも鮮明に覚えている。
あの頃の自分は、恋をすることが初めてで、恋をした自分がどんな人間に変わるのかまるで分からなくて、少し恐怖さえ感じながらその人のいる世界に存在していたと思う。
重いと思われるかもしれないけど、私の初恋の人は、縮こまって生きてきた私を大きく変えてくれた人生の恩人でもあった。
「笑ってた方がいいよ」
この一言で私は救われた。
私の見る世界の面積が一気に広くなった。
人生を救ってもらった人を、恋愛感情がなくなったからって記憶から抹消することなんてできない。
そこには、恋愛感情以上の想いがあるから。
だから、忘れようと務める行為も無駄なんだ。
初恋の定義が人それぞれならば、私の初恋はこれから先も続いていくのかもしれない。
自分の『生きる意味』を知っている人ってどのくらいいるの?
時間の流れと共に今を生きて、自分が死んだら一緒に生きてきた時間も止まる。
その中でどうやって生きる意味に触れることができるの?
どんな時も隣にいてくれる時間ですら、何も教えてくれないのに。
『善悪』の基準だって人それぞれだよ。
自分から見て善いことでも、他人から見たら悪いことだなんてざらにある。
善いことも悪いことも、人に否定されるとどうしようもない気持ちになる。嫌になる。
だってそれは、価値観を否定されているのと同じことのように感じるから。
だから私は誰も否定しない。
その人なりの在り方なんだと受け入れる。
自分がされて嫌なことは人にしたくない。
自分の言動が正しいと思えるのは、間違いの手本を見たことがあるから。
けど、その間違いを間違いと認識して言動するのは本当に正しいことなのだろうか。
『たとえ間違いだったとしても』