過ぎ去った日々
過ぎ去った日々は私の宝物なんだろうか、
だいぶ意味の無い時間を過ごしてしまったように私は感じてしまうんだ。
どうしたってもう取り返せない、時間は戻らない。
時間じゃない次元にいきたい。
どうして意味のない時間と言えるのかって?
それは、
上っ面な日々を過ごしてきたからだ。
どうして上っ面な日々って言えるのかって?
それは、
深い日々を過ごしている人に出会ったからだ。
ここでふと思う、
上っ面な日々を過ごしてきたからこそ
深い日々の素晴らしさに気づけたのだろう、と。
じゃぁ、意味のない時間はきっと、意味のある時間だったんだね。
でも、意味のない時間が意味を手にするためには、それに気づいてあげなきゃダメなんだ。
過ぎ去った日々を宝物と言えるようにするには、自分が意味のある時間にしなきゃいけない。
それは、意味のある時間の意味を見つけることに起因する。
今日にさようなら
今日にさようならをするとき、
ちょっぴり寂しい。
明日になったら、「今日」と呼ばれていた昨日は、ほぼ全て忘れられているのだろうな。
今日という日に楽しいことが起こったのなら、その楽しい想い出が色褪せていくのが寂しいし、
今日という日に嫌なことが起こったのなら、
嫌なことが起こるその現実に寂しいと感じる。
でも、明日になったら、「今日」と呼ばれていた昨日は、ほぼ全て忘れられているのだろうな、寂しさも。
そして明日という今日もまたさようならをしなきゃいけない。
あれ? さようならは、また会うための挨拶じゃあないの??
だからさ、また今日という日に合う日が来るんじゃないの?
そう信じたいから、また今日も、今日という日にさようならをする。
そう信じたいとしか言えない、
そう信じないと、辛いことから逃げられないし、楽しいことを当たり前って思えない、安心できないんだよ。
そんな自分に対しても、そんな今日という日にも、ただただ寂しくて、
私は今日にさようならをする。
10年後の私から届いた手紙
10年後の私から届いた手紙の内容はこうだった。
さぁ、10年前の私。
夢が叶えられるように思えず、夢がまるで風船みたいに、あなたの頭の中でフラフラしてるんでしょう?
この私はね、今のあなたが決意をするかどうか、そして、努力をするかどうかで、変わってしまうわ。
だからね、具体的なことは私にも分からないの。
でもね、一つだけ言うとしたら、、
決意は自信から必ずしも生まれるとは限らないということかしら。
この世の波を知り、そして、この世の波に呑まれることなく生きてゆくことを祈る。
以上
、、、これが今自分に言いたいことなんだろうな。
未来なんて分からない、何にも。
未来という名の現実が私に向かってくるだけなんだ。積み重なっていくだけなんだ。
でも、未来の自分をたまには考えないと、進む道間違えちゃうかも知れないから。
だからね、考えるんだけど、
未来の自分に期待して、今の自分をほったらかしにしちゃ〜ダメ。
10年後を見とけ!!!!!!
追記:
10年前の自分へ
今の私も、10年前の私もやるべき事は何も変わらない。
分かっているでしょう?
待ってて
待っててね、自分。
この本体は、まだ未熟でさ。
まだ自分を見つめようともしないんだよ。
勝手に前だけ見つめて、進もうともがいてる。
分かってるんだよ、1回見つめないと、前に進めないことくらい。
でもね、溺れそうになってる時みたいに、
バタバタ進もうとしてないと沈んじゃうんだよ。
沈むのが怖いんだ、だって、
沈んだら、今の自分がいなくなっちゃうから。
もがいてもがいて積み立ててきた中途半端なもの達が、
積まれた意味を失って、崩れちゃうから。
それが嫌なんだ、恐ろしくて仕方ないんだ。
だから待っててね。
この本体がそんな自分を認められるようになるまで。
この場所で
この場所で私はスタートするんだと決めて、どれほど時が経っただろうか。
未だスタートなどできずに縮こまっている私。
さぁ、いつスタートするのだろうか、
この場所で大切な想い出ばかりが溢れてゆく。
まだ私は始まっていないのに。
いつかは捨てないと、始まれないのだろうか、
そんな悲しいこと、したくないなぁ、
そんな、不安なことしたくないなぁ、
じゃぁ、その想い出達を私の中の棚に、大切に飾っておこうかな、
そしたら、ふと思い出して、泣いたり笑ったりするのかな。
この私の中にある場所で、これから先もきっと輝いている、
汚さないように大切にしながら、愛しながら、そうできるようにもっと成長しなきゃね。
この場所での想い出を。