毛布

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11/22/2025, 1:20:41 AM

高橋和巳の『邪宗門』ってご存じですか。

ある民間宗教団体の戦前から戦中の盛衰を描いてるんですが、この教団には実在のモデルがあって、それが「大本教」(正式には大本)とされています。
この大本教、それまで恵まれなかった普通の老婆に突然神下ろしが始まって教祖となり、その娘婿の出口王仁三郎が聖師になります。この大本教、戦前の勢力はものすごく、政界、軍人にも入信者が多数いて、例えばご存じ秋山昌之。海軍機関学校教員浅野和三郎(心霊学者でもあって主著が青空文庫にあります)、その兄の海軍少将浅野正恭。合気道の植芝盛平など煌びやかな人材だらけ。
現在のヨガ業者谷口雅春も、大本の系譜なんだそう。

この聖師の出口王仁三郎なんですが、いろいろ気になるところもあって、まず経歴としては審神者から始めている。もともとは出口喜三郎だったのが、開祖の出口なおに鬼三郎に改名されてしまって、これを王仁三郎に換えたそう。大本教信者は髪を切らなかったらしく、画像を検索すると、人懐っこい表情に烏帽子のような落花生の殻のような髪型をしている。政府から弾圧(第一次、第二次大本事件)を受けて投獄されているのですが、この時代の偉い人の逸話なら、獄吏を説教して信徒を増やしたりしそうなものなのに、彼は暇で手持ち無沙汰なので、獄中で陰嚢をびろーんとやって遊んでいたとか。

先日、この方の言葉とされるものを紹介する動画がYouTubeで出てきたんですけど、夢とか直感は霊界からの連絡であると言っている。
そんな、自分の夢とか支離滅裂で滅茶苦茶だし、直感で行動してたら破滅するだけでは、と思うんですが、自分の心から感情や雑念を取り除いて行くと、霊界からの連絡が研ぎ澄まされて夢や直感の精度が上がるらしい。

でもこの動画、そもそも出口王仁三郎の言葉って『霊界通信』とかしか残ってないはずだし、講演の記録とかなのか出典が分からない。
それに、彼自身が審神者出身なので神道系民間宗教になるらしいのだけど、教義はみんなで「みろく世」を作ることらしく、そこに今度は「霊界」...
まあそれでも、この動画では王仁三郎が「テレビ」とかにも触れていて、いやいやあの時代にテレビあったんかい、とも思うわけで、ソースもなく話題も不自然ではある。

ただし『邪宗門』の方は、著者の高橋和巳はあの当時の京大系の作家で、ものすごく緻密で論理的な文章を書く人です。まるでプログラミング言語のような、眩暈がするような、それでいて人間を深く、表も裏も美しく描く人です。
その高橋和巳が、王仁三郎と教団指導者たちには「霊能力があった」と何の躊躇もなく書いている。彼がそう言うなら、えっ、そういうものなのか、そういう人間に在らざる世界が、あるところには在るものなのか?と思ってしまう。
そういう意味で、実際にお会いしてみたかった人物なのです、出口王仁三郎。

(高橋和巳はたいがいの作品がkindleで読めます。『邪宗門』は超長編だし、他の作品には宗教要素はありませんが、当時の左翼系の論考もあるので要注意)

11/20/2025, 12:23:03 PM

未来が、というか、サキが見えちゃったらもう詰んでるでしょ。
見えないうちがハナでっせ。

11/15/2025, 1:07:35 PM

木漏れ日の跡??

木漏れ日なら灼けて跡が残るほど紫外線も蓄積しないし、眩しい光の網膜の残像なのかな。

もしくはあの日の木漏れ日に印象づけられた、記憶の痕跡なのかな。

わからないので、こんなところで。

11/14/2025, 10:04:30 PM

ささやかな約束を頻繁にしている相手って、実は自分自身ですよね。
仕事が終わらなくて遅くなっちゃうから、今日はコンビニでスイーツ買っちゃおう、とか、週末は1日中ゲームやるぞとか、このプロジェクトが終わったら海辺の温泉に行く!とか、欲しかった〇〇を買うぞ、ご褒美ご褒美とか。
こうしたささやかな約束を自分にしながら、日常をやり過ごしてるんだけど、実は日常をダシに何の関連もない欲望を充足することを正当化してたりもする。自分もよくやってます。

ここで大切なのが、ささやかでちょっと後ろめいくらいの約束であることで、むしろ真っ当で人生のフシメとして祝福されるようなものだったりすると、これはフラグになっちゃう。
この任務が終わったら、退役して地元に帰ってハイスクールから付き合ってた彼女と結婚するんだ、とか、フロリダで家を買ってずっと待ってくれてた妻と暮らすよ、とか...
怖い怖い。

11/13/2025, 11:55:35 PM

祈ることって誰にもあることで、何かをくださいとか、何かがいらないとか。もちろん、自分にはどうにもできない状況で、身近な人の幸運を願う祈りはとても尊い。

これには、モノなり状況なりを「頂戴」とお願いする祈りもあるけれど、さらには「〇〇するから頂戴」という形もあって、こちらは交換条件型。まずは酒肉を禁じる、趣味を止める、みたいな「止める」パターンがある。けれど、神仏にとっては、ヒトが好きなものを止めても交換条件になんかなるはずがない。もしくは、どこかにご寄付をするからとか、1日に1回人助けをするから、のような「行動する」パターンもあって、特に後者は願賭け行になるんだけど、そもそも神仏と交渉しよう、それに賭けようとかいう発想が不遜で烏滸がましい。むしろ単純にお願いして縋った方が、神仏の尊厳には相応しいんじゃないかとも思うくらい。
もちろん、祈りから派生して自分の想念や言動を律するための行動もあって、これは勤行とか座禅とかコンテンプレーションとか念仏とかマインドフルネスとか。こうなると願かけではなく修行になるけど、これでも果報や覚醒、日常生活の効率化なんかを賭けてる人もいる。

よく考えれば、自分の願いが叶えば他の存在が損をするのかもしれないし、単純に他にも同じ願いで競合している人がいるなら、どっちも叶えるわけにはいかないはず。
むしろ全知全能の神仏がいるならば、自分みたいな人類の末端のヤツが今さら何をしようが、必要なことがあればなさるだろう、とも思うし、ならば神仏の道か人の道か、むしろ法というか摂理なのかは知らんけど、踏み外さずに正しい言動に委ねといて、ときどき困りきってお願いもする、っていうあたりが、人の身の丈にあった祈りなんじゃないかな、というか自分にはそれしかできないっす...

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