時間よ止まれって、もしも自分で止められたとしても、自分も止まっちゃうんだから、そもそも意味がない。
だいたい、時間が止まったら、記憶も時間が動き始めるまでスキップしちゃうので、止まってたのかどうかが分からないはずだし、だから分からないだけで実は時間はちょいちょい止まっているのかもしれない。
他者の時間だけが止まって、自分の時間は通常営業なんて、蟲のいい話がそもそも無理。
ビクターって音響製品会社があって、そこのトレードマークが、白ブチのワンコが蓄音器のホーンに耳を傾けて、亡くなった飼い主の声に聴き入っている、という図案。
ここの会社のすごいところは、1927年(昭和2年!)から、このマークと日本ビクターの社名で音響機器を作り続けているセンス。日本で最初のテレビもここが作ったらしい。
そして何よりも、街の電気屋さんの店頭には、どこにもこのワンコと蓄音器の実物大以上のマスコットが置かれてた。
日本の企業がブレ始めた頃、ちょうど松下電気・ナショナルがパナソニックとかになったあたりから、電気屋さんの店先のワンコも見かけなくなって、今では他社と合併して、社名じゃなくてブランドになってる。
ありがとう、って実はちょっと不思議な言葉で、どうしてこう使われているのかが不思議。
しょうがないので『言海』とか持ち出すのは古いスタイルだけど、ありがとう、ありがたうという言葉はなくて、
ありがたし(形)
(一) 存在スルコト難シ、在リカヌ
(ニ) 類ヒ少ナシ、稀ナリ
(三) カタジケナシ
ってなってる。
その次の言葉が「ありがたなみだ(難有涙)」で、尊サ、又ハ喜バシサニ感ジテ出ル涙、感涙、なので、「有り難し」はその頃にも尊い喜ばしいものに対して使われてはいた言葉で、(三)カタジケナシが元なんでしょうか。
で、
かたじけなし(形) 難シ氣ナシの意
(一) 畏シ、恐レ多シ。勿體ナシ
(ニ) 惠ミを受ケテ嬉シ
なので、ここまできても自分が嬉しいまでで、まだ相手への感謝は出てこない。
だから本来は4ステップの「滅多にないような→(あなたのご配慮の)→恵みを受けて嬉しい→(感謝します)」のメッセージなのに、初段の「ラッキー」みたいな言葉だけで、むしろ隠しメッセージの(あなたへの感謝の意)を伝えるから、よく分からないんでしょう。
電話の「もしもし」も含めて、???なニホンゴ多いね。
そっと伝えたい、
スカートのタグが飛び出てますよ...
面識がない女性なら伝えない方が無難なんだけど、あちこちでふふっ、とか思われてしまうのもどうなんだろうとか...
ココロ...
ひらがなでこころというと、まずは漱石の『こゝろ』で、漢籍もいけて漢字大好きな漱石がわざわざ平仮名にしたあたり、しかも平仮名にして心の優しさとか暖かさを表現したわけでもなく、むしろ読者が追っていくのは業の深いヒトの心のもろさ、だったような気がする。
では、カタカナでココロというと、ちょっと思い浮かばなくて、あ、そうかアニソンが好きな方はココロオドル?
人工生命体にもしも心が生まれたら、その論理的で合理的で調和もプログラムされた心の上位互換は、ココロと呼ぶのかもしれない、知らんけど。