視線の先には何もない、壁しかない、壁には虫も這ってないのを一心に見ているネコって、正味なところ何が見えているんだろう。
人間と見える波長のパターンが異なると、そこに見えてくるものってのがあるのだろうか、色覚検査の数字みたいに。
イヌではこういうことがないので、たぶんネコには見えてイヌ・ヒトには見えない波長帯には、魔が潜んでいる。
「私だけど...」って、女性の声で電話がかかってくるオレオレ系詐欺もあると聞いた...
空を見上げて心に浮かんだこと、白い雲の形。
張られた電線、飛行機が翔び去る。
でも実際には、どこに行っても、何の変哲もない建物の一部ばかり。
ある価値観というか尺度(物差し)で評価すると優劣が出るものだし、その価値観に依存した集団ではやむを得ないことなんだけど、だからもちろんその価値観や他者の評価は一面的なもの。
そこで優れているヒトがきちんと幸福なのかというとそれは全く別で、優れているけれど幸福ではないとか、優れているためにさらに熾烈な競争が続く負荷なんかもあるんだろう。
それに価値観よる評価は相対的なものなので、ある基準を満たしてもさらに上はあるもので、やっぱり現状には満足できない。これは、何かの価値観を条件に幸福を見てるときには実は同じで、達成感は得られてもそれは幸福とは違っているかもしれない。
七夕って、読めなかったんですよね。
今でもどうしてこれが「たなばた」と読めるのか分からない。
そこで調べてみたんですが、もともとは中国の習俗で、五節句の一つの「七夕(しちせき)」で、すでに牽牛・織女伝説。(他は人日、上巳、端午、重陽)
この習俗が奈良時代に伝わって、宮廷ではこれに古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」伝説を結びつけ、民間には近世から伝わった、らしい。
つまり、「七夕」(しちせき)と書いて「たなばた」(棚機)と読む。
「七」が「た」なのか、「たな」なのか、「たなば」なのかなんて超越した読み方で、差しずめ現代では「本気」と書いて「マジ」、もしくは「三連星」と書いて「ジェットストリームアタック」と読むような言葉らしいです。