毛布

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7/8/2024, 11:56:00 PM

七夕って、読めなかったんですよね。
今でもどうしてこれが「たなばた」と読めるのか分からない。

そこで調べてみたんですが、もともとは中国の習俗で、五節句の一つの「七夕(しちせき)」で、すでに牽牛・織女伝説。(他は人日、上巳、端午、重陽)
この習俗が奈良時代に伝わって、宮廷ではこれに古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」伝説を結びつけ、民間には近世から伝わった、らしい。
つまり、「七夕」(しちせき)と書いて「たなばた」(棚機)と読む。

「七」が「た」なのか、「たな」なのか、「たなば」なのかなんて超越した読み方で、差しずめ現代では「本気」と書いて「マジ」、もしくは「三連星」と書いて「ジェットストリームアタック」と読むような言葉らしいです。

7/6/2024, 11:17:49 PM

友だちの思い出だけど、夜の浜辺に海を見に行って、でも月もなく、ひたすら暗い中にどうどうと潮騒が響いてて、浜の向こうには焚き火して遊んでる人たちがいたので、そちらに向かって歩いて行ったら、近づくとそこには誰もいなかった。怖くなってそこから慌てて帰ってきたと言っていた。
お盆の迎え火だった。

7/4/2024, 11:48:43 AM

神様だけが知っている
全知全能の神はいるのか

もちろん、もしもいないのなら、それでは御自分は何かということになる

だからいるのだとすれば、それでは西や東や南にもいる他の全知全能の神々とは何なのか
全知全能の完全体なのに、なぜお互いに差異(欠落)を持っているのか

もしもこれらの神々が、全知全能な唯一者の、人間とか世界に対するハブというかインターフェース端末なのだとしたら、どうしてヒトはそのインターフェースをめぐって敵対しなければならないのか
なぜそれを無意味だと示さないのか、同じ完全体の各地域の端末をめぐって、どうして世界を不幸にするのか

そうしてそれではヒトが滅びたとき、全知全能の神はどうやってその存在を維持するのか、それは存在しないこととどう異なるのか

観測者がいなければ、もしくは観測しうる機能がなければ、存在が消滅しかねない全知全能な完全体というのは、ありうるものなのか

だから場所と時間と機能と対象者とその言語で限定されて、差異という欠落を孕んでしまった段階で、それは全知全能の唯一者ではなくなってしまうのでは。
(オチなし)

7/3/2024, 10:33:29 AM

この道の先に、とか考えちゃうとこの道が通過儀礼になってしまう。たどりつけば、たぶん先にあるものの方が通過ポイントという記号になってしまうのに。

7/1/2024, 11:05:48 PM

窓越しに、敷地内の野良ネコが台の上に飛んでくるスズメたちを狙ってずっとアタックしているのが見れた職場があって、雨が降らない限り毎日飽きずに、しなやかにそっと近づいてアタックを繰り返していた。
スズメたちも懲りずに日の当たる台の上に戻ってきて、スズメが捕られたところも見てないので、あれはたぶんお互いに半分遊んでたんだと思う。
(というか、遊んでないで仕事しろ自分。)

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