神様だけが知っている
全知全能の神はいるのか
もちろん、もしもいないのなら、それでは御自分は何かということになる
だからいるのだとすれば、それでは西や東や南にもいる他の全知全能の神々とは何なのか
全知全能の完全体なのに、なぜお互いに差異(欠落)を持っているのか
もしもこれらの神々が、全知全能な唯一者の、人間とか世界に対するハブというかインターフェース端末なのだとしたら、どうしてヒトはそのインターフェースをめぐって敵対しなければならないのか
なぜそれを無意味だと示さないのか、同じ完全体の各地域の端末をめぐって、どうして世界を不幸にするのか
そうしてそれではヒトが滅びたとき、全知全能の神はどうやってその存在を維持するのか、それは存在しないこととどう異なるのか
観測者がいなければ、もしくは観測しうる機能がなければ、存在が消滅しかねない全知全能な完全体というのは、ありうるものなのか
だから場所と時間と機能と対象者とその言語で限定されて、差異という欠落を孕んでしまった段階で、それは全知全能の唯一者ではなくなってしまうのでは。
(オチなし)
この道の先に、とか考えちゃうとこの道が通過儀礼になってしまう。たどりつけば、たぶん先にあるものの方が通過ポイントという記号になってしまうのに。
窓越しに、敷地内の野良ネコが台の上に飛んでくるスズメたちを狙ってずっとアタックしているのが見れた職場があって、雨が降らない限り毎日飽きずに、しなやかにそっと近づいてアタックを繰り返していた。
スズメたちも懲りずに日の当たる台の上に戻ってきて、スズメが捕られたところも見てないので、あれはたぶんお互いに半分遊んでたんだと思う。
(というか、遊んでないで仕事しろ自分。)
ここではないどこかに行くと、そこが今度はここになる。
そこにいいことがあるか、悪いことがあるのかは分からないけれど、いいことがあっても多分別に悪いことも出てきたり、どうにも嫌なところでも意外といいことがあったりもする。
だからそこはある程度割り切って、とにかく自分が気に入ったところに行くのが何より。
置かれた場所で咲かなきゃいけないのは植物だけ、でも自分が世界を好きなように創れる全能神でもない限り、行ったところでもいろいろあるはず。
でも自分の価値観にはなかったものがあるから、世界は面白いのだし、その差異を受け入れてその価値を認めてしまうことが多分... (それは言いすぎだな)
1年後も今と同じってのは、避けたい。
同じとか、先が見えてるとかいうのは、まだちょっと避けたい。