幸せの定義なんてない。
あえて言うなら、幸せだと思い込める能天気さ。
これがあるかないか。
自分には…ないかな。
でも、能天気でいようと試行錯誤する前向きさはあると思ってる。
ややこしいけど、頑張るに値するもんだと信じてるってこと。
どんな劣悪な環境にいても、自分は幸せなんだと感じられる。
この時代には非常に難しいことだと思うけど、時折ふと思うのは、「生きてるだけで丸儲け」ってのはまんざら詭弁でもないと。
楽しいこともあって、辛いこともあって、悲しいこともあって、ムカつくこともあって。
こんなにいろんな経験が出来ることが、生きてるってことな訳で。
それをすべてひっくるめて、「幸せ」と呼べるような人間になりたい。
…と思いながら、早五十余年。
日の出を待った。
心が苦しくて、ともすれば潰れそうになるのを堪えて。
この暗闇の時間を、一人きりで過ごすことの苦しみを、一人きりであるが故に、誰とも分かち合えないのが辛い。
そんな夜。
でも、朝はやって来る。
日の出とともに、たくさんの人々が動き出す気配を感じる。
実際には、まだ夜も明けぬうちから活動している人達はいるはずだが、この暗闇はその物音すら隠してしまう。
だから、たった一人。生きることは、一人に慣れること。
痛いほど分かっているはずなのに、日が昇る瞬間に期待してしまう。
昨日、別れを告げた太陽が、また会いに来てくれる夜明け。
一人であることに変わりはなくても、この繰り返しがあることが生きている証になる。
だから、日の出を待った。
心が苦しくて、ともすれば潰れそうになるのを堪えて。
昨日失った幸せの一欠片を、取り戻せるような気がして。
愚かなのは、新しい一日が始まれば、まだやれそうな気持ちを持ってしまうこと。
何も変わらないのに、何かが変わるんじゃないかと期待してしまうこと。
その愚かさのおかげで、今日も二本の足で立つ。
きっとうまくいく、きっとうまくいく、と心に言い聞かせて。
日の出を待った。
水平線の向こうに、昨日別れを告げた太陽が姿を見せる。
ありがとう。今日も生きていけるんだね。
昨日と同じ一日を繰り返すだけだとしても、その積み重ねがきっとかけがえのない人生になる。
だってそれは、自分にしか経験できないものだから。
日の出とともに、僕も動き出す。
今年の抱負、というか、自分に対する訓示。
生きてれば、嫌なことやムカつくこと、悲しいことは起こる。
その度に、心を揺らして擦り減らせるのは、自分にとって良くない。
無駄が多すぎる。
脳みそから抜き出して、いったん部屋の隅の引き出しにでも片してしまおう。
処分してしまいたいけど、これからも生きていくんならそうもいかないこともある。
それについて、きっちり対応しなきゃいけない時が来るかもしれない。
だけど、その時が来るまでは考えるだけ無駄な話だ。
自分を擦り減らすだけ。
そんなもんを片付ける引き出しを用意しとこう。
思考の外側に。
出来るかどうかはやってみないと分からない。
だけど幸い、気をそらすための方法はいくらでもあるからね。
家族と話したり、映画を見たり、音楽を聴いたり、ゲームをやったり。
自分の人生にとって、今悩んでも仕方ないことより、こっちの方が大切なんだって思い込めれば完璧。
どれだけ重大な悩みだって、今動いても何も出来ない時は、忘れて楽しく生きてる方が幸せだしね。
あとは、そのトラブルに対して行動が取れる時が来たら、がむしゃらに頑張るだけ。
そして、頑張ってもどうにもならないんだと気付いたら、その時はまた、放置してしまっていいと思う。
とゆーか、それしか出来ないんだから。
そのうち時間が何とかしてくれる。
何とかしてくれなくても、行き着く先は皆同じだし、そこに辿り着くまでは、精一杯楽しんだもん勝ちだと思う。
一度しかない人生だから。
まずは、新年明けましておめでとうございます。
まあ、年が明けたところで何がめでたいのやら、ですが、昨年の今日のような悲しい出来事が起こりませんように。
それだけは切に願う。
きっと今年も、いくつかの困難に出会ったりもするだろう。
生きていて良かったのか?なんて思う瞬間もあるかもしれない。
でも、生きていたからこそ、その困難と向き合って、それを乗り越えた時の喜びを味わうことが出来る。
だから、いつだって答えは、「生きていて良かった」だ。
新年を迎えて、いや、新年を迎えられたことに、ただただ感謝。
こんな気持ちを感じる節目として、一年という区切りがあるのかもしれないな。
昨日と今日では何も変わらないけど、新年明けたところで別にめでたいこともないけど、自分の気持ちの上で、ここまで生きていることを実感し、感謝して前へ進むために。
生きていて良かった、と。
今日もこの窓の向こうでは、誰かが恐怖に怯え、絶望の涙を流している。
世界とはそういう場所。
この部屋を出てはいけない。
安全地帯に閉じこもるんだ。
温かい空調の効いた我が家で、今日も明日も明後日も、歪んだ外の世界との温度差を感じている。
こんな世界で、誰を救いに行くの。
旅立ったあなたの心を、誰が温めてくれるの。
閉ざされたドアの前で、「ひとりじゃないよ」と話しかける。
人間は誰しもがひとりなのに。
たったひとりで、恐怖に怯え、絶望の涙を流すものなのに。
世界とは、そういう場所なんだって、メディアがずっと伝えてくれる。
温かい毛布と、心を込めた料理だけで、人は幸せになれるのに、それすらも届かない人達に、世界は命の糧を与えてはくれない。
「だから私が行くんだよ」
あなたはそう言って、重いリュックを背負いながら、閉ざされた心のドアを開けに行く。
愚かな人間だけの行為。
人が人を殺し、人が人を癒やす。
世界は今日も変わらず、歪んだ現状を晒し、それをマスメディアが自慢気に披露する。
残された道は、ひとりひとりが未来へ目を向けて生きること。
救う人の誘いを受けて、閉ざされた心のドアを開け、不安に満ちた世界へと飛び出すことを決めた人々へ。
良いお年を。