「光と闇の狭間で」
私の光は学校で、私の闇は真夜中のベッドの中だ。
いつでも私は私だ。変わることは残念ながらない。
それでも、光にいる私と闇にいる私は全く違う人だと思う。
多くは無い友達と過ごして授業を教室で受ける私と、
何もかもが嫌になって時には自分を傷つけて平然を保つ私。
どちらも同じ私だ。
そしてその光と闇の中間の現在20時を過ごしている私は
"光と闇" というお題を見て、
「自分をお題に当てはめる人はどのくらいいるんだろう」
と考えた。
「どうすればいいの?」
これはだめ。
あれもだめ。
それはやめた方がいい。
避けた方がいい。
ねぇ、じゃあ、どうすりゃいいのよ?
私の選択は全てだめで、違うものにしろと言われて。
違うものに変えれば、「よく出来ました」と言われる。
バカみたいだ。その選択は私が選んだものじゃないのに。
息苦しい。生き苦しい。
「意味がないこと」
私は、親を好きになるために、嫌にならないために、
私は普段から親がしてくれていることを
なるべく気づけるように意識している。
「自分はしていないけど変化しているもの」は
全て親がやってくれているのだ。
ありがたいことだと思う。
でも、ダメだった。
きちんと話を聞こう
→矛盾してる時は意味がない
ちゃんと言われたことやろう
→完璧に出来ないと意味がない
親の意見を理解しよう
→どうしても納得出来ず意味がない
まずは自分を変えよう
→環境の変化がなく意味がない
弟の味方になろう
→現実は変わらなく意味がない
何を頑張っても意味はない。全て頑張ってなくても同じ。
親は変化しない。環境は変化しない。弟は変化しない。
変化するのは私だけ。私の心と体だけ。
あぁ、本当に、意味がない。
「もう一つの物語」
認知症の祖母とその孫が和やかに会話している心温まる話と
認知症により刻一刻と変わっていく祖母に苦悩する孫の話。
この2つの話はどちらも同じ時間に生まれ、
同じスピードで進んでいるのに、
なぜだか大人たちは綺麗な話しか見てくれない。
ねぇ、私の苦悩は無かったことにするんですか?
祖母とニコニコ楽しそうにしていたら満足ですか?
ちゃんと見てよ。どちらの話も。
物語は表と裏があってはじめて完成するの。
「暗がりの中で」
気分が理由もなくガクンと落ちる時がある。
まるで、落とし穴に落ちたように突然に。
落ちた先は自分がどこにいるかも分からなくなる暗闇。
そんな暗がりの中で唯一その場を照らすもの。
学校とか、友達とか、自分の好きな物とか、その他色々。
それがどんな色でもいい。
たとえ自分の嫌な色でも、それが照らしてくれるのなら、
私はここの暗闇から抜け出せる気がするから。