ㅤ夏の味、夏薫る、夏仕込み。
ㅤ呟いた僕に隣から「なにそれ」と笑いが返る。
「夏の気配を感じるなあって」
スーパー入口の野菜コーナーにまで積まれたビールを、僕は指した。
「なんかさ、昔よりかなり夏推しじゃない?ㅤ前は秋の方がこんな感じじゃなかった?」
「あんま飲まないからわかんないなあ」
ㅤ特売のブロッコリーを見比べながら、君。
「お、これなんか新しいよ。ナツノオモイデ」
ㅤ海と山ととうもろこし。花火。割り箸の刺さったなすび。風鈴に流しそうめん。様々なイラストが、側面いっぱいに描かれている。
「夏、まだ始まったばっかなのに」
ㅤこんな思い出をたくさん、この夏の君と共有出来ますように。
「じゃ、行っときますか、まだ見ぬ世界へ!」
ㅤヘラヘラ笑って、僕は夏を手に取った。
『まだ見ぬ世界へ!』『夏の気配』
ㅤここ数年あなたに電話をすると、
「元気なんな?」
「ほんなら良かった」
ㅤでほぼ終わるようになっていた。
ㅤ敬老の日だからとか誕生日だからとか、気温が今季最高だ最低だとか。いろんな理由をつけて電話したのは、穏やかなあなたの声が好きだったからなんだと今更気がついた。
ㅤ二言目には母が言う「帰っておいで」を、あなたは決して言わなかった。ただ元気でいるのかどうか、それだけをいつも気にしてくれた。
「ねえ、おじいちゃんとの最後の会話って、覚えてる?」
ㅤワンピースとスーツで黒く装った姉と妹に聞いてみる。
「えー、電話やと思うけどなあ。1ヶ月くらい前……かなあ。なに話したやろ。元気か?ㅤっていつも訊かれるくらいで」
「私も、そんな感じ」
ㅤなんで?ㅤと姉。
「そうやんなあ。最後の声がどんなやったかって、案外思い出せんもんやなあと思って」
ㅤ私の言葉に、「そうやなあ」と二人がハモり、私たちは、多分この場にそぐわないほど派手に笑い合った。
「会うた時も、『写真撮ろう』って言うと笑顔が消えたんはよう覚えてる」
「そうそう。拳をぐっと握り締めたり」
「魂抜けるって思ってたんかなあ」
ㅤおじいちゃんは雨男だった。でもいま空はこんなにも晴れている。細く長い煙が、青い明るさに吸い込まれてく。
ㅤ私たちはほとんど同時に空を見上げた。それは後から後から立ち上ってなかなか尽きなかった。私たちの持つあなたとの思い出のように。
『空はこんなにも』『最後の声』
ㅤ料理が苦手な君の晩御飯は曜日替わりみたいで。木曜日は大抵麻婆豆腐の出番だった。レトルトの味でさえ毎回微妙に加減が違うのは、もはや才能かもしれない。
ㅤもやしでかさ増しされた隙間に、今日はオレンジ色のハートがひとつ。
「あ、見つけてくれた?」
ㅤ嬉しそうな笑顔がお茶のコップとともに目の前に座る。
ㅤいびつな形の人参はとても小さいけど、果てない手間の詰まった愛だね。
『小さな愛』
ㅤ子供の頃の夢は?ㅤと訊かれたら、多分野球選手なんだろう。
ㅤ近所のクラブチームに入った頃は、必ず叶えられると根拠もなく信じられた。
けれどすぐに、自分はそういう方の部類には入らないんだろうなと分かった。
ㅤあいつは練習ばっかしてて、僕よりどんどん上手くなった。それでも練習ばっかしてた。
ㅤ高校ではもう辞めるよって僕は言った。
ㅤあいつは引き留めなかった。
「辞めたいなら辞めれば?
試合は負けたら意味ないもんね」
ㅤこっちを見ずに帽子をいじった。
ㅤそんなこと言ってたあいつの方が、遠いところに行ってしまうなんて。
ㅤなあ、やっぱり辞めるの辞めたから。
ㅤまた一緒に野球やろうぜ?
ㅤどこにも、行かないでくれよ。
『どこにも行かないで』『子供の頃の夢』
好き、嫌い、好き、嫌い……ねえ、知ってる? 花びらの恋占いって必ず『好き』で終わるんですって。花びらの枚数が奇数の花が昔から選ばれるのよね。
贈った花は受け取って貰えなかったから。去っていく君の背中を目で追って、私は最後の花占いをする。
好き、嫌い、好き、嫌い。やっぱり、好き。
『好き、嫌い、』『君の背中を追って』