実は今日、もう誰を信じたらいいのか分からなくなっちゃったんだよねって話。
『冬になったら一緒におーっきな雪だるま作ろうねっ』
あの子の名前がずっと思い出せない。隣の家に住んでいて、ずっと一緒に遊んでいた同い年の女の子。冬が好きなこと、おてんばだったこと、いつも痣をつくっていたこと、実はそれはお父さんに殴られたあとであること。いつも泣きそうな笑顔。覚えているのはこれくらいだ。5歳ぐらいのとき急に引っ越していってしまった。今思えば父親の虐待が誰かに通報されたのかもしれない。ところで僕はというと、今は実家を離れ、地方で大学生活を送っている。東京とはまるで違って、今日早くも雪が降っている。
インターホンがなった。
『雪だるま、つくりませんかっ』
半袖白Tシャツに下は恐らく高校のジャージ。この寒い中一体どういう格好をしているんだ。間違ってないよね。きっとずっと名前が、名前だけが思い出せなかったあの子。ふと外の景色が目に入る。そうだ、君は
「雪ちゃん」
君は今にも泣き出しそうな顔で笑って助けて、と言った。
ただの電球ではあるんだけども、どこか切なくて私は泣きそうになります。こんなんじゃ君とクリスマスデートに行けないや。
愛ってなんなんですか。私が愛した人は私を愛しましたか。自分が本当に愛したい人からは目を背けて、自分を愛してくれる人を愛するのが幸せへの近道ですか。それでよかったのなら、私は上手に愛せなかった。この前、もっと自分を大切にしなよって友人に怒られました。私は人が欲しい言葉、人に優しくする方法はわかるのですが自分に優しくするということがどういうことなのかだけはどうも分からないのです。愛を"注ぐ"と表現し始めたのは誰なんでしょう。注げるということは愛は液体なんですかね。いつか、自分に注いだ愛で友人と乾杯したいものです。
部屋の片隅のベッドで泣いている、あの子は誰?あれは私。何ヶ月か前の私。あのとき私を泣かせたあなたへ。眠れない夜を、頭を抱える程の憂鬱な朝をプレゼントしてくれてどうもありがとう。私は強くなれた訳じゃないです。でも弱くなった訳でもありません。頑張ってみたけどあなたと一緒にいるのはどうしても無理でした。逃げることも悪くないな、と思わせてくれてありがとう。あなたのおかげで自分の周りにいる本当に大切な人に気付けました。私は大切な人を大切にして生きていこうと思います。そんなあなたも部屋の片隅で泣いていたりするのでしょうかね。