『未来への船』
私たちは皆、遺伝子を未来へと運ぶ船である。
生命活動と繁殖は切り離せないし、人間に限らず、大抵の生き物はせっせと次代を残そうとする。
親から子へ、子から孫へ。
命を繋ぐというのは、つまるところ遺伝子の引き継ぎ作業だ。
ゲノムは生命の設計図。
そこに何か意味や価値を持たせようとするのは、人間の悪い癖。
私たちはただ、揺籃のようにゆらゆらと未来へ向かって流されてゆく存在なのだ。
『夢を描け』
夢は、時として体のいい言い訳になる。
「うちの子、結婚も就職もしなくて困っちゃう」と、ご近所のWさんが愚痴りに来た。
話を聞くと、なんでも「自分には夢があるから」と言うらしい。
「でも、それに向かって勉強しているわけでもないのよねぇ」
……なるほど?
「いつまでも私たちが元気でいられるわけじゃないんだし、負担も大きいし、いい加減自立して欲しいのよ」
お子さんが実家に寄生している現状は分かっている、と。
「具体的な夢の内容を聞いても、どうにもハッキリしなくて。なにがしたいんだか」
でしょうね、単なる言い訳ですから。
「お願いできるかしら?」
ええ、わかりました。こちらで処理致しましょう。
「本当に? 家庭内のことをお願いするのはどうかと迷っていたのよ」
いえ、お子さんが拗らせて家庭内暴力に走ったり、刃物を持って近所をうろつくようになると、町内の治安に関わりますから、町内会のご近所トラブル処理係取り扱い案件です。
「助かるわぁ。あ、孫の顔は見たいから、子供は作れる程度にお願いできる?」
わかりました。今は矯正にもレベルがありますから。
「ああ、ホッとした。孫ができたら何しようかしら。夢が広がるわぁ」
夢を見るのは素敵なことですね。
『届かない……』
ここ数日、このアプリのプッシュ通知が届かない現象が起きていた。
忙しさに取り紛れて、気づかないでいた自分も悪い。
ちょこちょこ弄ったので、多分大丈夫――かな?
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『木漏れ日』
穏やかな言葉だと思う。
「木漏れ日」に該当する言葉は、他国にないそうだ。
以前、読んだ本にそう書いてあった。
サワサワと揺れる緑の隙間から差し込む、やさしい光。
涼しげなのに暖かみがある。
欧米には森も湖も多いだろうに。
あの木陰の中から仰ぎ見るやわらかなきらめきを、どんな言葉を以て表現するのだろう。
『風と』
年度末の3月から年度頭の4月、そしてこのゴールデンウィークまでの忙しさときたら。
随分と日が延びた夕焼けを見上げながら、てくてく歩く。
いつの間にか、躑躅が沿道に咲いている。
他家の垣根には木香薔薇。
庭先には菖蒲。
さっき通り抜けた公園には見事な藤の花房が藤棚に垂れ下がっていた。
風に揺られて、ゆらゆらと。
風と戯れるように、さわさわと。
日中はだんだん気温が高くなっているが、夕方はまだ涼しい風が吹いている。
こんなふうに、風に吹かれながらのんびり歩けるのもあとどれくらいだろう。
もうすぐ梅雨。その後は夏。
もうちょっと涼しさを満喫したいよねぇ。
『big love!』
かつてマザー・テレサは言った。
「私たちはこの世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです」
うん、普通の生活をしていて世界に影響を与えることなんて、そうそうないよなぁ。
けど、その小さな毎日の積み重ねが、社会や歴史を作ってもいる。
つい偉人や有名人に目を向けてしまいがちだけど、社会に変革が起きる時、そこへ至る流れを作っているのは名もなき人々なのだ。
政治への不満、世の中への不安。
そういったものが大きなうねりとなって、あとほんの一滴、誰かが何かを垂らせば爆ぜるところまでいく。
そう考えると、平凡だとか何もない毎日だとか言ってられるうちは幸せで、大きな愛に包まれている、と言えるのかもしれない。