『些細なことでも』
どうも、今年の町内会班長の当番の者です。
ちょっとよろしいかしら? ああ、そんなにお時間はとらせませんわ。些細なことですの。ここ、日差しがキツイですわね、中へ入っても? ええ、玄関先で結構です。お部屋までは上がり込みませんわ。それじゃあ、ドアを閉めさせていただいて。
さて、と。
実はね、ご近所さん方から苦情が出ておりますの。お宅のね、その、臭いが。ええ、何かこう、腐臭のような、そういう臭いがね、耐えられないと、まあね、夏ですしね。
率直に言うと、お宅、庭に何か埋めてらっしゃるでしょ? ああ、誤魔化さなくてもいいんですよ、分かっていますからね。ええ、私もご近所さん方も、みなさんね、知ってますから。
ちょっとね、埋め方が浅いんですよ。もっと深く埋めるか、家の床下にでも埋めれば、こんなに臭うことはなかったんじゃないかしら?
ちゃんとビニール袋に詰めるとか、ブルーシートに包むとかしました? まさか何もせずにそのまま埋めたりしてないでしょうね?
それに、先日の大雨で土が流されたのか、ちょっと見えてましてよ。ほら、埋め方が浅いから。あのままにしていると野良猫やらなんやらに掘り返されて、見た目も良くないでしょう?
お隣のSさんもベランダからそういうモノが見えるのは、ちょっと嫌でしょうし。そこら辺もご配慮いただきたいわ。
まあ、私もね、班長の役目がありますからね、こんな些細なことでも注意しないといけないんですよ。
それじゃあ、よろしくお願いしますね。改善されない場合には、ご近所トラブル処理係の方がいらっしゃいますので。では。
『不完全な僕』
料理がマズイ。
掃除が行き届かない。
出迎えに出るのが遅い。
気が利かない。
明るさがない。
そんな言葉を、どれだけ浴びせられただろうか。
私は妻であって、下僕ではないのだけれど。
うんざりしたので終わらせることにした。
「不完全な僕(しもべ)で申し訳ございません。つきましては、こちらの離婚届に御署名を」
『香水』
「寝る時に纏うのはシャネルの5番だけ」
そう言った女優の言葉は、あまりに有名だが、後々香水が人の性格を左右することになるとは、当時の人達は思ってもみなかっただろう。
通販で買い物をするのが当たり前になった今でも、化粧品や香水の類は対面販売で買う人が多い。
「こちら、“初対面の人とはきさくに話せるのに、知り合いの中に入ると上手く話せなくなる人”の香りです」
手渡されたテスターの一嗅ぎしてみる。
「こちらのほうは、“思っていることとは裏腹に、ツンケンした態度をとってしまう人”の香りになります」
どちらもピンとこない。
「でしたらこちら、“人と交わるのを好まない、厭世的な人”の香りはいかがでしょうか」
気に入った。
これにしよう。
孤独な香りを纏わせて、夜の街をぶらつくのも悪くない。
『言葉はいらない、ただ…』
ゴクン、と飲み込んでから味がおかしかったことに気がついた。
手に持った袋の中身に目をやると、ところどころが変色している。
おまけに、黴らしきものまで!
嘘でしょ?!
一口分とはいえ、飲み込んでしまった。
大丈夫なんだろうか、コレ。
出来ることなら吐き戻したい。
そんな器用な真似は出来ないけど。
買ってすぐ冷蔵庫に入れといたのに。
賞味期限、昨日までなのに(ギリアウト)
台風来てる湿気のせいか?
いつまでもウダウダ暑い気温のせいか?
大丈夫だよ、とか、お大事に、とか。
そんな慰めの言葉はいらない、ただ……
お腹を壊しませんように!
蕁麻疹とかのアレルギー反応起こしませんように!
『突然の君の訪問』
いつだって、彼の訪れは突然だ。
夜の静寂にふと振り向くと、そこに居たりする。
始めのうちはたいそう驚いて思わず声を上げたりもしていたけれど、次第に慣れてしまった。
夜だけでなく、昼間も現れるようになったのはいつからだろう。
居間のソファに、
キッチンの流しに、
洗面所の鏡の中に、
寝室のベッドの脇に。
そうして何年、何十年と経った。
そろそろ私も老境に入る。
彼は相変わらず、なんの前触れもなく現れる。
初めて声をかけてみようと思った時、私と同じように歳をとった彼が、まっすぐに私を見てこう言った。
「君はいつだって突然現れるね」