昨日へのさよなら、明日への出会い
(a)
昨日までの自分にさよならできたら、どんなにか楽だろう。
そうしたら新しい自分に、誰かに出会えるのだろうか。
でも、私は明日も私を続けていく。
ほんの少しの諦めと、我慢と、変わらなくていい安堵感とともに。
だからまだ、私に明日への出会いは来ない。
出会いがあれば明日が来る、そんな夢にまどろみながら、変わらないための言い訳を考えている。
(b)
いったん死んで異世界転生……
は難しいから、死んだつもりで会社をやめた。
退職したら収入がない。
そうなったら生きていけない。
長いことそう怯えてきたけれど、いざやってみたらそれは単なる思い込みだった。
予想外だったのは想像できない明日が来ることだ。
会社にいるときは明日の予定どころか、十年後まで見通せるような気がしていた。けれど今は違う。
用意された道は消えた。
今目の前に広がるのは、360度どこへ行こうと自由な世界だ。
少し怖いけど、進んでみよう。
新しい自分に、何かに出会うために。
透明な水
(a)
「泣いてなんかない、ただの水よ」
彼女は言う。
けれど透明な水に見えるそれは、元々は血液でできているのだと知っている。
あまりにも美しい流血を前に、僕は何も言えなかった。
(b)
その水があまりにも透き通っているから、覗き込んだ者は自らの姿をまざまざと映し出されることになる。
くれぐれも遊び半分に関わらぬことだ。
でないと後悔するやも知れぬ。
自らの中の魔が、自身に牙を剥くかもしれぬ。
(思いつくままの2篇を覚え書きに)
理想のあなた
『理想の恋人、作ります』
その店の看板にひかれて中に入った。
店員に渡されたオーダーシートに、私の希望を書いていくのだという。
容姿? それはもちろん格好よく……なくてもいいな。あまりに格好良すぎると、他の誰かに奪われてしまいそう。
性格? そうだなあ、優しくて、強くて、誠実で。それから食べることが好き。ご飯やおやつを美味しいね、と一緒に食べてくれる人。
そこまで書いてペンを置く。
ごめんなさい、と店を出た。
だってそんな人ならもう知っている。
隣に住んでるあの人だ。
駅前の店でケーキを買って帰ろう。
そして二人でお茶をいれて、美味しいね、と食べるのだ。
突然の別れ
夜中、不意に電話が鳴った。
こんな時間に誰かと画面を見てみれば、実家の母だ。
その瞬間、ああもしかして、と脳裏に父の顔が浮かんだ。
「もしもし」
「あのね、お父さんが……」
慌てた様子の母の声は、父の危篤を知らせるものだった。
嫌な予感は当たるものだ。
いつか先輩が言っていたことを思い出す。
『離れて暮らす相手にさ、一ヶ月に一日会うとするでしょ。そうすると一年で十二日。もし相手の寿命があと十年としたら、たった四ヶ月くらいしか一緒に過ごせないんだよね』
急いで家を出たが、病院に着く前に、父は旅立ってしまっていた。
ありがとうも、さようならも言うことができなかった。
別れは突然やってくる。
世間ではよく言われることだけど、実際はちっともわかっていなかった。
恋物語
一挙一動が目にとまる。
話す声が、他の誰のおしゃべりよりもスッと耳に入ってくる。
それが恋だったのだと、あとになって気づいた。
今、君はここにいない。
ただ、あの頃の笑い声が、表情が、いつまでも胸に残って、チリチリと胸の奥を焼いている。