神様へ。
もし貴方がいるのなら、どうして私を産み落としたのですか。
明後日、専門学校の入学式がある。
そして、入学式の次の日には自己紹介がある。
僕は重度の吃音症で、人前で話すことが難しい。
過去にクラスメイトの前で作文を読み上げた時、僕は読み始めるまでに5分ほど沈黙した。
その時以上の人が集まった場所で、約1分。
マイクを片手に話すなど、僕にとっては地獄へ行けと言われているようなものである。
今から数えると、自己紹介の日まで後3日ある。
まるで、悪夢へのカウントダウンだ。
想像するだけで喉が引き攣って、まともに声が出せなくなる。
不意に空を見上げると、快晴。
僕の鬱々とした気持ちなど、全く素知らぬふりをして、太陽は暖かな光を注いでいる。
「……あーあ」
どんよりと、気分が悪かった。
遠くの空へ、思い切り叫んでみなさい。
そうすると、いつも心の底に溜まっている澱を綺麗に吐き出せることがありますから。常日頃、感じているストレスなんかを全て詰め込んで叫ぶのです。
明日の貴方は今日よりちょっと、良い気分のはずだから。
言葉にできないものとは、なんだろうか。
その問いに、僕は『感情』と答えた。
だって、『苦しい』とか、『嬉しい』とか、『悲しい』とか、『楽しい』とか、一口に言ったらこんなにも簡単だけど、突き詰めると深い底には何か別のものがあるのだから。
嬉しいと言っても、本当にそれだけとは自分でも思えなかったり、表面的には苦しいけど、実はそうでもなかったり。
はらわたが煮え繰り返るくらいの怒りだって、言葉で全て伝え切ることは難しい。
だから人は表面的な感情を表す言葉を作るのだと思う。
僕がそう意見すると、先生は言った。
「君は、まだ言葉を知らないね?」と。
つまり、世の中には君の知らない言葉がたくさんあって、知っている言葉ですら別の意味を持っている。だから君の知識でものを語るのは早計だ、と言ったのだ。
よくよく調べてみると、大体の感情は別の言葉を重ねることで言葉にすることができる。
「じゃあ何だよ、言葉にできないものって!」
訊けば、先生は言った。
「いずれわかるさ」
大人の誤魔化す時の言葉だった。
それから五年の月日が流れても、僕は分からないままでいる。
本当にあの問いに答えなどあったのだろうかと、今でも首をかしげたままだ。
「はぁ〜〜〜〜〜、煮え切らねぇ!」
当時から成長した頭でも、答えなんてさーっぱり、見当もつかない。
誰よりもずっと、ずーっと、僕は努力してきたつもりだった。
でも、実際はそんなことなくて。
周りの人はさらに努力を重ねて、すごく優秀な人たちで。
こんなこと、思いたくないけれど。
僕は世間で言う、無能だった。