何かに没頭してる時。熱中してる時。恋してる時。
それから目が覚めると、それまで費やした分だけ、それを蔑ろにしたくなる。
あれほど好きだったのに。
目が覚めると、これほど嫌いになるなんて。
いつか、相手も自分も許せる日が来ますように。
私の当たり前
当たり前、と聞くと「♪あたり前田のクラッカー~」と脳内再生されること。
一人暮らしをしていた頃。
仕事帰りの電車の窓から、街の明かりを見るのが好きだった。
仕事に疲れ、人に疲れ、世の中に疲れて…
それなのに人の営みを象徴するような街の明かりにほっとした。
マンションの明かり。家々の窓から漏れる明かり。
街灯。広告塔。
その明かりの中に、人々の生活を感じながら
自分はその中に入れないと思いながら
そして明かりのついてない暗い一人暮らしの部屋に帰っていく。
今。私は家族の待つ家に帰る。
明かりのついた我が家へ。
或いは私が明かりをつけて家族を待つ。
街の明かりの中に、私は居る。
友だちの思い出。
人生を振り返ってみると、私は友だちが少なかった。
そして今。友だちと呼べる人は居ない。
子供のころは、よく一緒に遊ぶ子が友だちだった。
『友だちになろう』
『一緒に帰ろ』
『一緒にお弁当食べよ』
そんな風に私に声をかけてくれた人たち。
大人になった今。
『友だちになろう』と言って友だちになることはない。
職場や何かの集まりで『一緒に帰ろ』や食事に誘われるのも、純粋な意味ではなくなった。
そう感じる私は、やはり今、友だちと呼べる人が居ない。
不思議と寂しくはなく、私は望んだものを手に入れた気分。
そう感じる私は、やはり今、友だちと呼べる人が居ない。
毎年この時期はあの歌を懐かしく思う。
笹の葉さらさら…
子供の頃、父が笹の枝を持って帰って来てくれた。
家族で色紙で短冊を作り、各々が願い事を書いて、笹の枝にくくりつけた。
家族の健康、幸せ、長寿…そんな微笑ましい願い事をみんなで読みあって穏やかな気持ちになった。
そんな中、父の願い事は『トラックいっぱいの札束が手に入りますように』だった。
それから十数年後。
私は結婚した。夫と迎える初めての七夕。
二人で願い事を短冊に書いた。
二人の健康、幸せ、長寿…何せ新婚ですからね。
そんな中、夫の願い事は『宝くじが当たりますように』だった。
星空を見上げてみる。
今年の七夕は晴れるだろうか。
みんなの微笑ましい願い事が、星空へ届きますように。