ひとはどうやって愛情を嗅ぎ分けてるんだろう。
愛情を持っているから近づく人
愛情を持っているから遠ざける人
どちらも同じ愛情の度合いでも、
その現れ方ですれ違ってしまう。
ほかにも
愛情だと思っていたことが、
相手には普通のことなんて空しいこともある。
好ましくないと思えることも、
相手にとっては必死の愛情表現だったりもする。
愛情の度合いは違っても、
自分にとって好ましい愛情表現があるのが幸せなのか
それとも、好ましくない表現でも
愛情を受け取れた方が幸せなのか
きっとどちらも幸せじゃないんだろう。
世の中のひとはどうやって愛情を嗅ぎ分けて、
感じているんだろう。
仕事終わりにスイーツ買ってきてくれるのも
家事の小言も「まったくもう」って口癖も
全部の出来事が想い出になってくのが
誇らしいような怖いような
そんな気がする
#たくさんの想い出
カーテンと窓の隙間で情けなくいた。
1DKの間取りでは他にどこに逃げられるんだろう?
「話し合わないのか」
紅茶が淹れられる。
まるで私を気遣ってるみたいに。
だけど、その紅茶を飲んだが最後、
もうどこにも行けない気がした。
帰り支度をして飛び出した。
一直線に逃げるように帰った。
あの日の紅茶、実は見も聞きも嗅ぎもしてない。
だけど、なぜか頭にマグカップも音も香りも
覚えてるような気がしてしまう。
#紅茶の香り
クリスマスに買ってきてくれたお酒のレシート
まだ財布にしっかり持ってる。
#忘れたくても忘れられない
鉢植えから抜け出して
心もとない根っこの足で歩くような
そんな日々が数年間続いた。
行動の結果はすべて自分自身に降り注いだ。
すがるのは幸せの意味すら深く考えなかった過去の日。
そして、自分の罪を憎み、他者の不親切を反芻した。
そんなことを繰り返しても、世界はどうにもならかった。
今までは運命だったものに自分から近づいてみた。
私の足は心は少しずつ太くなった。
そして、今日やっと自分がどうあるべきかの答えに
最も近づいた気がする。
#過ぎた日を想う