仕事で心が壊れていろいろあって今に至る。
本当にいろんなことがあった。
過去形で言ったけれど、通院は今も続いている。
過去形であり、現在進行形だ。
良くなってきた頃、今(当時)の自分は、
病気になる前の自分と違うのだろうかと考えて
いた。
病気になった、その前後の自分の違い。
カウンセラーに訊いたところ、「はっきりと区別
するものではない」と言われた。
病気になったか変わった、と思うものではない、と。(人によっては、別人になったと考えるかも
しれないが)。
自分にとっては、心の病気になったことが大きな
出来事で、だから違いというものにこだわったのだ。
いろいろ考えたけれど、病気になったという他は、自分の変化を認める要素は見つからなかった。
だから、考えるのは止めた。
私は私だ。
そしてそう認識しながら今に至る。
何度か「病気」という言葉を使ったが、実はこの
表現は、自分の中では、あまりしっくりきていない。
分かりやすくするために「心の病気」になった、と
表現している。どうも、良くなって不調の無い今、
自分は病気だ、という意識に納得ができないのだろう。
ひどい時期は、れっきとした病人だったんだけどね。
なので今は、病気というより、昔、心の病気に 「なったことがある」という風に認識している。
とりあえず、健康は戻って来たと思っている。通院も、現状維持のために続けている。(良くなったから終わり、ではないと主治医に言われた)。
これからも通うなら、この先ずっと現状維持のまま、診察室に入りたいものだ。
「心の健康」
君のいろんな笑い声がハーモニーを奏で、
僕の心を癒やしてくれた。
「君の奏でる音楽」
麦わら帽子。持ってないなぁ。
日差し除けにピッタリの、つばの広い帽子。
夏本番って感じですね。
「麦わら帽子」
私の行き着く先は、あなたでありたかった。
「終点」
仕事で「室内の季節の飾り付け」というのがある。
いろんな飾りを、自由にディスプレイしていい。だから自分のやり方でしているんだけど、なんか出来がパッとしなくて、他の人の飾り付けが素適に見えて、「何で私はそういう風に出来ないんだろう」と
凹んでいる。
マニュアルや正解は無い。気にすることないんだけど、自分は一本調子で、応用がきかないんだなぁと思っている。
自分がした飾り付けを、しげしげと眺める。単調だけど、別に間違いじゃ無い。これはこれでまぁアリ
なんだろう、と最近思うようになった。正解なんて無い。比べるものでもないだろう。ちょっと、他の人のが素適に見えて、それを羨ましく感じているだけだ。
今月末に、飾りの交換がある。また自分のやり方でやっていこう。
「上手くいかなくたっていい」