「同情」とは、他人の苦しみや不幸を、
自分のことのように感じ、かわいそうと
思うこと、だそうだ。
勝手な言い分かもしれないが、上から目線の
ようで、あまり良いイメージが無い。
昔、私が仕事で壊れた時、それを知った上司に
「かわいそうに。」と言われた事を思い出した。
そんな昔の話をどうこう言う気はさらさら
無いが、今にして思えば、私は「かわいそうな
子」だったのか。と、ちょっと思ってしまった。
ひねくれ者だな、私。
「同情」
枝から舞い落ちた葉っぱ。
青々しさは無くなり、人に踏まれ、
あるいは雨に濡れ、あるいは再び風に舞い…。
色変わりした葉っぱは、なぜか寂しく
見えてしまう。
私は、秋の穏やかな日差しが苦手だ。
これも、なぜだか寂しく感じてしまう。
これからやって来る冬に、憂いを感じて
いるからだろうか。
枯葉の花言葉は「憂鬱」。
まさに自分と同じだ。
「枯葉」
今日も、普通に過ごせた1日だった。
TV番組を録画し忘れたり、知らない番号から
電話があって、出た途端に切れたりはしたけど
大好きなチョコレートを食べて、お風呂が気持ち
良い1日だった。
平凡な日々を送っているけれど、何かトラブルが
無ければ、それが一番。
淡々と過ぎていく日々。
「今日」は「昨日」に、「明日」は「今日」に
なっていく。
今日よ、さようなら。また明日。
明日は、何しようかな。
「今日にさよなら」
これぞまさにお気に入り、と言えるのは、
去年、自分で作ったハーバリウムだ。
花の配置を何度も直して、どの角度から見ても
満足のいく出来になった。
それを、しばらく眺めていたりした。
物だけとは限らない。
時間だったり、景色だったり、映画や音楽
だったり、いろいろとあるだろう。
マインドフルネスや瞑想に聴く自然の音や
音楽を、目覚ましに使っていたり、
初夏の爽やかな光や風を浴びたり、
そういうのも、お気に入りのひとつに
なるだろうと思う。
これからも、そういう存在が増えていったり
するのかな?そうだったら楽しいだろうな。
「お気に入り」
誰よりも、私を大切に思ってくれた人。
自惚れと思われるだろうけど、
お願いをよく聞いてくれたし、
私が喜ぶと、嬉しそうな顔をしたし、
彼は、一途な人だった。
やがて、私達は終わっていったけれど、
その時、彼にとっての私は、
誰よりも大切な人、では無くなっていた
のだろうか。
「誰よりも」