1日のうちに、待つ、待たせる、って、どの
くらいあるんだろう?
仕事の時間を待つ。診察の順番を待つ。人との
約束で、先に着いた相手を待たせる。
結構、細かいのがあるのでは、と思う。
私は、「待たせる」のは嫌なタイプだ。事情が
ある時は仕方ないのだが、そうでなければ、約束
の時間は守るし、相手の待つ時間は、極力短く
するようにしている。もしくは、遅れる時は、
必ず連絡を入れている。
なぜなら、相手に心配させたくないからだ。
私が待つ立場なら、遅れる時は、連絡が欲しい
と思っている。
ちょっと相手に強要しているっぽい?
先の寒波で大雪になった時、親戚の子どもを
学校に車で送ってほしい、と連絡があった。
「○○時出発なら、その少し前に行くから
待ってて。」
当たり前のように、時間厳守で迎えに行った。
遅刻しないように、というのももちろんだけど
滅多に無い経験だったので、新鮮に思えて、
ちょっと気合が入ってしまったのだ。
家に着いて、さほど待たず、相手が出てきた。
無事に学校に到着した。
なかなかの気持ち良い朝だった。
「待ってて」
会うのを楽しみにしていたよ。
いつも優しくしてくれて嬉しいよ。
もう少し、一緒にいたいな。
今思えば、そういう事を、
きちんと、面と向かって言ってなかった
気がする。
一緒にいることに夢中で、
それをあまり言葉にはしていなかった
ように思う。
向き合って、ちゃんと伝えていたなら、
あの人は喜んだかもしれない。
嬉しかったかもしれない。
あの人の気持ちはじゅうぶん伝わっていたのに
私はおそらく、気持ちを返すことは
していなかった。
伝えていたなら…。
もう過ぎたことだ。
「伝えたい」
ここは、心地いい空間だ。
隣に大切な人がいる。
一緒に笑ってくれる。寄り添ってくれる。
この場所は、暖かくて大切な場所だ。
いつでも手が届くと思っていた。
いつからか、「この場所」は「あの場所」に
なっていた。
あの場所は、もう遠くにいった場所。
手を伸ばしても、もう届かない場所。
どんな思い出があったのかさえ、はっきりと
思い出せない。
あの場所で、ずっと一緒に過ごしていける
んだと思っていた。
「この場所で」
誰もがみんな、コロナの終息を願っているし、
誰もがみんな、戦争が終わるのを祈っているし、
誰もがみんな、楽しく過ごしていきたいと思って
いる。
…と思う。
誰もがみんな、誰かの大切な人だし、
誰もがみんな、必要とされたいと思っているし、
誰もがみんな、愛されたいと思っている。
綺麗事だろうか。
だけど、
誰もがみんな、幸せになりたい。と
思っているのではないだろうか。
心の中は、きっとそうだろうな…と思う。
「誰もがみんな」
会社を退職する時、花束をいただいた。
病気をして、仕事を辞めることを決めた。
花束なんて受け取ったこと、ほとんど
無かったから、嬉しかったけれど、
おめでたいことに送るイメージがあるから、
手放しで喜んではいなかった気がする。
いただいておいて、何言ってんだ。
辞めることを決めたのは自分自身だろう?
おめでたいことでは無かった。
それでも「お疲れ様でした」の花束は
綺麗だった。
花屋を通る機会でもあったら、
ちょっとのぞいてみようかな。
綺麗に彩られた花束が見えるかも。
送り主の楽しそうな笑顔と一緒に。
「花束」