会うのを楽しみにしていたよ。
いつも優しくしてくれて嬉しいよ。
もう少し、一緒にいたいな。
今思えば、そういう事を、
きちんと、面と向かって言ってなかった
気がする。
一緒にいることに夢中で、
それをあまり言葉にはしていなかった
ように思う。
向き合って、ちゃんと伝えていたなら、
あの人は喜んだかもしれない。
嬉しかったかもしれない。
あの人の気持ちはじゅうぶん伝わっていたのに
私はおそらく、気持ちを返すことは
していなかった。
伝えていたなら…。
もう過ぎたことだ。
「伝えたい」
ここは、心地いい空間だ。
隣に大切な人がいる。
一緒に笑ってくれる。寄り添ってくれる。
この場所は、暖かくて大切な場所だ。
いつでも手が届くと思っていた。
いつからか、「この場所」は「あの場所」に
なっていた。
あの場所は、もう遠くにいった場所。
手を伸ばしても、もう届かない場所。
どんな思い出があったのかさえ、はっきりと
思い出せない。
あの場所で、ずっと一緒に過ごしていける
んだと思っていた。
「この場所で」
誰もがみんな、コロナの終息を願っているし、
誰もがみんな、戦争が終わるのを祈っているし、
誰もがみんな、楽しく過ごしていきたいと思って
いる。
…と思う。
誰もがみんな、誰かの大切な人だし、
誰もがみんな、必要とされたいと思っているし、
誰もがみんな、愛されたいと思っている。
綺麗事だろうか。
だけど、
誰もがみんな、幸せになりたい。と
思っているのではないだろうか。
心の中は、きっとそうだろうな…と思う。
「誰もがみんな」
会社を退職する時、花束をいただいた。
病気をして、仕事を辞めることを決めた。
花束なんて受け取ったこと、ほとんど
無かったから、嬉しかったけれど、
おめでたいことに送るイメージがあるから、
手放しで喜んではいなかった気がする。
いただいておいて、何言ってんだ。
辞めることを決めたのは自分自身だろう?
おめでたいことでは無かった。
それでも「お疲れ様でした」の花束は
綺麗だった。
花屋を通る機会でもあったら、
ちょっとのぞいてみようかな。
綺麗に彩られた花束が見えるかも。
送り主の楽しそうな笑顔と一緒に。
「花束」
家族や知人と話をしていて。
漫画やテレビを見て。
嬉しいことがあったら笑顔になって。
日常生活に、笑う要素はたくさんある。
笑うって、自然にできる感情のひとつだと
思う。
だけど、辛い時、苦しい時は笑えない。
昔、何かで耳にしたことがある。
「泣いている人を笑わすのは難しい」
どん底にいる人を、笑顔にさせるのは
どんなに元気になってほしくても、
簡単に笑わすことはできない。
私はいつも、とある芸人のYou Tubeを
観ている。
破天荒で、収拾のつかない行動をよく
しているが、実は真面目で、礼儀のある
人だ。
その人の動画を観ていると、「泣きながら
笑う」動画に出合うことがある。
感動や少し悲しい思いをしても、それでも
笑ってしまう動画だ。
笑うという経験は山ほどあるが、
泣きながら笑うという経験は、そんなには
無い。
企画や編集のせいでもあるだろうが、その
人の「人となり」が現れているから、自然に
笑みがこぼれてしまうのだろう。
笑うって、本当に純粋に自然にできるもの
なんだなあと思う。
そして、幸せなことなんだな、とも思った。
「スマイル」