誰もがみんな、コロナの終息を願っているし、
誰もがみんな、戦争が終わるのを祈っているし、
誰もがみんな、楽しく過ごしていきたいと思って
いる。
…と思う。
誰もがみんな、誰かの大切な人だし、
誰もがみんな、必要とされたいと思っているし、
誰もがみんな、愛されたいと思っている。
綺麗事だろうか。
だけど、
誰もがみんな、幸せになりたい。と
思っているのではないだろうか。
心の中は、きっとそうだろうな…と思う。
「誰もがみんな」
会社を退職する時、花束をいただいた。
病気をして、仕事を辞めることを決めた。
花束なんて受け取ったこと、ほとんど
無かったから、嬉しかったけれど、
おめでたいことに送るイメージがあるから、
手放しで喜んではいなかった気がする。
いただいておいて、何言ってんだ。
辞めることを決めたのは自分自身だろう?
おめでたいことでは無かった。
それでも「お疲れ様でした」の花束は
綺麗だった。
花屋を通る機会でもあったら、
ちょっとのぞいてみようかな。
綺麗に彩られた花束が見えるかも。
送り主の楽しそうな笑顔と一緒に。
「花束」
家族や知人と話をしていて。
漫画やテレビを見て。
嬉しいことがあったら笑顔になって。
日常生活に、笑う要素はたくさんある。
笑うって、自然にできる感情のひとつだと
思う。
だけど、辛い時、苦しい時は笑えない。
昔、何かで耳にしたことがある。
「泣いている人を笑わすのは難しい」
どん底にいる人を、笑顔にさせるのは
どんなに元気になってほしくても、
簡単に笑わすことはできない。
私はいつも、とある芸人のYou Tubeを
観ている。
破天荒で、収拾のつかない行動をよく
しているが、実は真面目で、礼儀のある
人だ。
その人の動画を観ていると、「泣きながら
笑う」動画に出合うことがある。
感動や少し悲しい思いをしても、それでも
笑ってしまう動画だ。
笑うという経験は山ほどあるが、
泣きながら笑うという経験は、そんなには
無い。
企画や編集のせいでもあるだろうが、その
人の「人となり」が現れているから、自然に
笑みがこぼれてしまうのだろう。
笑うって、本当に純粋に自然にできるもの
なんだなあと思う。
そして、幸せなことなんだな、とも思った。
「スマイル」
誰にも言っていない事なんだ。
でも本当は解ってほしいんだ。共感して
ほしいんだ。だけど、話せないんだ。
なぜなら、自分の奥深くに潜んでいる
秘密にしている事、隠している事、
それを裸にされて、どう思われるか、と
気に病むのが嫌だからなんだ。
自分だけが見れる日記帳を
持つしかないのかな。
そこで思いっきり胸の内を
書くしかないのかな。
きっとそれは空回りする。寂しい。虚しい。
でも、もし大切な人が出来たとしても、
どこにも書いていない事など、
きっと、簡単には話せない。
「どこにも書けないこと」
去年、自室の時計が壊れたので新調した。
黒い縁に白盤のアナログ時計。
部屋の時計は、昔からアナログ時計だ。
やっぱり、ぱっと見での時間が分かりやすい。
視力も悪いので、寝起きや裸眼の時など、
ぼんやりとでも分かるのがいい。
チッチッチッチッ…
秒針の音が鳴るタイプは苦手だけど不思議だ、
一秒たりとも狂わず時を刻み、
人はそれで生活を営んでいる。
昨日も、今日も、これからもずっと、
人は時計とともに日々を過ごして行く。
「時計の針」