夏休み終盤、残り少ない休みの日に委員会の当番の仕事をしに学校行くと、そこには先輩の姿もあった。近くで用事を済ませたついでに様子を見に来てくれたようだ。
久しぶりにみる、相変わらず涼し気な顔に、珍しく着崩した制服の組み合わせに、懐かしさと非日常性を覚える。
何か話を聞きたい気持ちはあれど、これといって言葉が浮かばず、お疲れ様ですとだけ声に出す。私の様子を察したのか、ゆったりと先輩は、きちんと当番の仕事をしているようで安心した、と先生のようなことを言ってきたあとは、宿題は済ませているのか、どこか遠出はしたのかと、これまた先生でも聞いてくることはあまりないそれらしい質問を時々投げかけてくる。
それに答え、私も先輩は、と投げ返すと先輩もこの夏の出来事をぽつぽつと話してくる。
お互い人見知りというわけでもないが、元々言葉数が多い人間でもなかったので一人でいるときより静かな時間にも感じられたが、体温は高かったように思う。
仕事をいつもより早く済ませ、帰路に着く。夏雲の流れが速い。
まだまだ太陽はギラギラしてるし、流れる汗はひかないのに、暦だけは夏の終わりを迎えようとしていた。
夏休みが明けた。
後期は先輩方からの引き継ぎが終わり次第、特に問題がなければ、先輩方は引退。私たちのみで活動が行うようになる。
所属人数が少ないためかトラブルが見舞われがちのこの委員会だが、引き継ぎはすんなりと終わった。自分のような後輩を手懐けながら、何だかんだとこの委員会を回してきた先輩だ。夏休みの間に他の先輩方と問題を片付けて後は私たちに任せられるように準備していたらしかった。
先輩は時々様子を見に来てくれるが、さよならの準備は確かに進められている。まだ夏用の制服を衣替えをするには残暑が厳しかった。
門出の数日前に会った先輩は、元気でね、もうあまり心配はしてないけど無茶しないこと、としか言わなかった。いつもみたく、じゃあまた、とは言わなかった。
さようならを言ったらこれきりに思えてくる。かといって、また会いましょうと言ったら、そうだね、と返されたきりになるような気もした。
お疲れ様でした、といつも通りの別れの言葉しか出なかった。
【さよならを言う前に】
「……なーんにも見えん」
めったに寄らなくなった公園のベンチにどかっと座り込みながら、空を見上げて小さく独り言ちる。
昔は、人見知りで自由時間は絵を描くか空を眺めて過ごしていたことを思い出した。
そのうち自由時間は焦るように誰かに話しかけて一人にならないように、あの頃思う普通から外れないように必死に動き出すようになっていた。
そうして、将来、損得、生産性云々、その言葉の意味も重要さも未だによくはわからないものが確かに自分に重くのしかかるように感じて、それらを追いかけて同年代と情報の、横と下を見続けている。
暇つぶしの道具を何ももたず、そもそも暇ができただけのちいさなわたしは、空を見て雲の流れるはやさとか、あの雲はお父さんが飲むビール缶に載っているあの動物に似てるだとか、ぼけっと上を見上げていた。
やりたいことも、やらなければならないことも何の選択肢も私のなかには存在していなかった。
今じゃ嫌でも選択肢が浮かび、暇でありたいのに暇していたことを悔やみ、自責する。
まだ明るかった空が暗くなり、街灯の存在が目につき始める。赤紫色に小さな光が散っている。そのなかで動く主張が激しい大きな光は、UFOではなく飛行機であることはもう知っている。
空の色と雲を見て、もう少し雲は太陽を隠せとか、明日は雨が降りそうなのは勘弁してくれだとか、自分の都合に合わせたことしか浮かばない。
目に映る空には何の模様も見えず、目を閉じてぬるい風をただ聞いていた。
【空模様】
「鏡見てこい」という台詞を聞くと一方では、
「自分で見る鏡のなかの自分は実際より3割増しで良く見える」という話もあるからなあ、とも思う。
鏡で己の真の姿を自覚できるものなのか。
しかし鏡は前を向いたままの自分自身の目でみることができない、後ろの光景をみせてくれる。
後ろの人たちがお前をどんな目でみているか見てこい、ともとれるのではなかろうか。
そんなどこにも着地しないことを、鏡越しに後ろの人と目が合わないようにしながら鏡を見つめて前髪を直した。
【鏡】
正直使わないし何かが気に入ってるわけでもないんだけど、みたいな物がたくさんある。
誕生日プレゼントとしてもらったけど欲しかったわけでも使う予定もないものだとか、友人の付き添いで行ったライブのグッズだとか、旅行先で買った置物とか、全巻買い揃えてたけどもう読まないだろう漫画とかだ。
捨てても人にがっかりされるわけでもない(そもそも忘れられている可能性の方が高い)、スペースはいくら空いてもいいし、むしろいきなり大型家具をおけるくらいの余裕がある方が緊急時も掃除にとっても良いはずである。
物は記憶を思い起こす役目ももつ。捨てたらもうそこにしまうまでの思い出も忘れて、自分には何も無かったような気になってしまうのではないかと考えてしまう。
そして、スペースが空けて代わりに置きたいものもないし、とまた元に戻してしまうのだ。
卒業アルバムや誕生日に貰った手紙をさっさと捨てられるような、その時その時を生きるような、合理的な人間にちょっと憧れながら。
【いつまでも捨てられないもの】
誇らしい、と自分で言うのも、他人に言われるのも、なんか違うなぁ、と思う。
誇らしいことというと仰々しく聞こえるので、言い換えるなら誇らしいとは、「よくやるものだ」といった感じだろうか。
ピアノを早く上手く弾けるようになりたくて同じ小節を躓かずに弾けるようになるまで100回弾くのを繰り返したり、とにかくお金が欲しくて、朝5時に起きてバイトしてから大学の1限目の授業に出て帰宅した途端鼻血流したりしたことだとか。
夏休みをリズムゲームアプリの曲全制覇に溶かしたことは……わからないけど、よくやったとは思う。
【誇らしさ】