「……なーんにも見えん」
めったに寄らなくなった公園のベンチにどかっと座り込みながら、空を見上げて小さく独り言ちる。
昔は、人見知りで自由時間は絵を描くか空を眺めて過ごしていたことを思い出した。
そのうち自由時間は焦るように誰かに話しかけて一人にならないように、あの頃思う普通から外れないように必死に動き出すようになっていた。
そうして、将来、損得、生産性云々、その言葉の意味も重要さも未だによくはわからないものが確かに自分に重くのしかかるように感じて、それらを追いかけて同年代と情報の、横と下を見続けている。
暇つぶしの道具を何ももたず、そもそも暇ができただけのちいさなわたしは、空を見て雲の流れるはやさとか、あの雲はお父さんが飲むビール缶に載っているあの動物に似てるだとか、ぼけっと上を見上げていた。
やりたいことも、やらなければならないことも何の選択肢も私のなかには存在していなかった。
今じゃ嫌でも選択肢が浮かび、暇でありたいのに暇していたことを悔やみ、自責する。
まだ明るかった空が暗くなり、街灯の存在が目につき始める。赤紫色に小さな光が散っている。そのなかで動く主張が激しい大きな光は、UFOではなく飛行機であることはもう知っている。
空の色と雲を見て、もう少し雲は太陽を隠せとか、明日は雨が降りそうなのは勘弁してくれだとか、自分の都合に合わせたことしか浮かばない。
目に映る空には何の模様も見えず、目を閉じてぬるい風をただ聞いていた。
【空模様】
「鏡見てこい」という台詞を聞くと一方では、
「自分で見る鏡のなかの自分は実際より3割増しで良く見える」という話もあるからなあ、とも思う。
鏡で己の真の姿を自覚できるものなのか。
しかし鏡は前を向いたままの自分自身の目でみることができない、後ろの光景をみせてくれる。
後ろの人たちがお前をどんな目でみているか見てこい、ともとれるのではなかろうか。
そんなどこにも着地しないことを、鏡越しに後ろの人と目が合わないようにしながら鏡を見つめて前髪を直した。
【鏡】
正直使わないし何かが気に入ってるわけでもないんだけど、みたいな物がたくさんある。
誕生日プレゼントとしてもらったけど欲しかったわけでも使う予定もないものだとか、友人の付き添いで行ったライブのグッズだとか、旅行先で買った置物とか、全巻買い揃えてたけどもう読まないだろう漫画とかだ。
捨てても人にがっかりされるわけでもない(そもそも忘れられている可能性の方が高い)、スペースはいくら空いてもいいし、むしろいきなり大型家具をおけるくらいの余裕がある方が緊急時も掃除にとっても良いはずである。
物は記憶を思い起こす役目ももつ。捨てたらもうそこにしまうまでの思い出も忘れて、自分には何も無かったような気になってしまうのではないかと考えてしまう。
そして、スペースが空けて代わりに置きたいものもないし、とまた元に戻してしまうのだ。
卒業アルバムや誕生日に貰った手紙をさっさと捨てられるような、その時その時を生きるような、合理的な人間にちょっと憧れながら。
【いつまでも捨てられないもの】
誇らしい、と自分で言うのも、他人に言われるのも、なんか違うなぁ、と思う。
誇らしいことというと仰々しく聞こえるので、言い換えるなら誇らしいとは、「よくやるものだ」といった感じだろうか。
ピアノを早く上手く弾けるようになりたくて同じ小節を躓かずに弾けるようになるまで100回弾くのを繰り返したり、とにかくお金が欲しくて、朝5時に起きてバイトしてから大学の1限目の授業に出て帰宅した途端鼻血流したりしたことだとか。
夏休みをリズムゲームアプリの曲全制覇に溶かしたことは……わからないけど、よくやったとは思う。
【誇らしさ】
きっとばれないさ、こんなに真っ暗だもの。
真夏の夜、そう言う君は光る月も星も背負っていない。
君の向こうには、目を凝らせば辛うじてあるといえるような、頼りない屑のような星々が散らばった暗闇と、それとの境界がみえない、静かに広がるインクのような海だけがあった。
街灯が、背後からじーーーーーっと、寿命が近い蝉のような音を放つ。安っぽい白い光が君の姿を不自然に照らした。
はやくいこう、もういくからね
何も言わない私を置いて、君は夜の海へ消えていく。
追いかけようとして、昼間は熱かった砂に足を出す。
いくら足を出しても全く海に近づけない。ぬるい砂漠に足をすくわれて、
深く息を吸い込んで、目をひらいた。
湿気を吸い込んだ髪に汗まみれの体は、昨晩自分がシャワーを浴びてしっかり髪を乾かして寝たのか疑ってしまうほどの不快さだった。
何度か寝返りを打ってこちらが現実であることをじんわりと飲み込む。
目を刺すほど眩しい白光の下が似合う君が、あんな風になる訳が無い。なぜ夢だと気づかなかったのか。
ふくらはぎに痒みを覚え、この暑さでも蚊が生きていることに苛立つ。今年はまだ刺されていなかったのに。
痒みを紛らわすために起き上がってふくらはぎを叩く。
めいっぱい鳴く蝉の声で、珍しく窓をあけて寝ていたことに気づく。
弱々しい潮風を感じていると、君から「今夜海に行かないか」と連絡がきて、思わずぎょっとして返信できずに固まっていると「花火の許可もらってきた!」と続いて連絡がくる。
また思わず力が抜けて、私は笑みを零しながらそのまま君に電話をかけた。
【夜の海】