─Love you
君が太陽なら、僕はひまわりだな。
輝く君から目を離せない。
でも僕はひまわり畑に咲く一本でしかなくて
みんなが君を見てる。
独り占めできないんだって本当はわかってた。
─『太陽のような』
──どんな姿になっていても必ず迎えに行くから
チュンチュン…
窓の外で鳥が朝を知らせている。閉じられたカーテンのわずかな間から太陽が差し込み、チハヤの顔に日光が注がれる。
チハヤはベッドから起き上がり、腕を高く上げ、背筋をグッと伸ばした。
(今日も同じ夢…)
小さい頃からチハヤが見続けている夢。誰かに手を差し伸べられ、その手を取ろうとすると決まってその瞬間に目が覚める。昔はもっと鮮明に手を差し伸べている相手の顔まで見えていた気もするが、流石に十数年と見ていると子供の時に比べて解像度がだいぶ下がっている。
小さい頃に現実に起こったことが夢として現れているのか、そうじゃないのかもすら、わからない。
現実で起こったと言っても、きっとドラマや映画のワンシーンがずっと記憶に残っているとか、そんな感じか何かだろう。
夢の正体について少し考えたあと、見飽きた夢のことなど特に気にせず寝室からリビングへ向かった。
テーブルからリモコンを手に取り、ニュース番組をつけた。
「今日は広く晴れて、今日1日お出かけ日和となります。ただ、お昼頃に一部通り雨が降る可能性があります。お出かけの際には──」
ちょうど天気予報をしていた。今日は天気がいいらしい。せっかくの休日だしどこか出かけようかな。
そんなことを思いながらキッチンへ向かった。蛇口を捻り、コップに水を注ぎ、コップ一杯分の水を一気に飲みほした。朝食の準備をしようと冷蔵庫を開ける。
(そうだった…卵と牛乳が切れてるんだった)
チハヤは即席の朝食を食べ終えると素早く身支度を済ませ、早速外へ出かけた。
(久しぶりに服でも見ようかな。あ、そういえば読みたい本があったんだった。本屋にも行かないと。食材は最後で──)
チハヤは久方ぶりの、屋外で過ごす休日に胸を躍らせていた。軽い足取りでレンガの道を歩く。
「チハヤ!」
腕を、ガっと掴まれた。その力に上半身が後ろに傾く。名前を呼ばれ振り返る実際に掴まれた腕を確認する前にすぐに手が離され、腕に握られた感触がじんわりと残っていた。
「悪かった」
見知らぬ男はバツが悪そうに言った。そしてチハヤの顔を真剣な眼差しでじっと見つめる。
(この人の声どっかで聞いたことあるな…)
チハヤはどこか聞き覚えのある懐かしい声の記憶を探ったが、すぐに諦めた。その代わりに状況を理解するために脳を働かせた。
「あの。どうかされましたか?」
名前を呼ばれたことから不信感を覚えつつ、チハヤは縮こまり、恐る恐る尋ねる。
男は、その、いや、えっと、などと、形容し難い状況に言葉を選んでいるように見えた。
長身で整った顔立ちが特徴的な男だった。もし一度以上会っているとしたら、忘れるはずがないだろう。だが、今回は例外らしい。
チハヤはそんな男に対し、舵を切って再度尋ねた。
「どこかであったことありますか?」
その言葉を聞いた男の目に一瞬光が宿った。
「2人で話せるところに行こう」
男が指差す方向には喫茶店があった。チハヤにとって断る理由も特になかったので、男の提案に頷き、喫茶店に入った。
「お好きな席にどうぞ」
店員に招かれ2人用の向き合った形の席に着くと、2人の間に気まずい沈黙が流れた。
「俺のこと、覚えてないか?」
男が急に口を開く。予想していなかった言葉に体が強張る。
「それが、心当たりはないです…」
チハヤは目を瞑り、うーん。と今までの記憶を探り、考えた。男の口ぶりと、自分のことを呼び捨てで呼んでいることから、親しい人物ではないかと考察したが、案の定心当たりは見つからなかった。
そこで今日の夢のことを思い出した。
「あ!」
チハヤの頭の上で架空の豆電球がピカっと光る。
「どうした」
男は軽く首を傾げる。
「その、声を夢の中で、聞いたことあるなぁ。って思って…」
夢の中のことを話した自分が恥ずかしくなり、赤く染まった頬を誤魔化すため下を向いた。後半は声がもごもごとして、なんとも聞き取りずらい言葉になっていた。
男がピクっと動いた。
「夢?どんな夢なんだ?」
夢の内容を人に伝えるのは恥ずかしいが、時間を巻き戻すことはできないのだからしょうがない。
「えっと、『必ず迎えに行く』って、誰かに手を差し伸べられる夢?」
何度見てきた夢でも、夢の中のぼんやりとした出来事を的確にわかりやすく説明するのは難しい。
「その『誰か』のこと知ってるのか?」
思いがけない質問にチハヤは一瞬目を丸くした。
「んー。昔会ったことあるような、ないような」
「そうか…」
男は腕を組み、何か考え込んでいるように見える。少しの間そうしていると、男は自分のポケットから現像された写真を取り出した。それを机に置き、チハヤの方へ向ける。
「これ、わかるか?」
チハヤは差し出された写真を見た。そこには、自分が写っていた。だがこんな写真撮った覚えは無い。驚いて目を凝らしてじっと自分にそっくりな人物を見つめる。
確かに自分にしか見えないが、今の自分よりどこか大人っぽい雰囲気を写真から感じる。例えるなら、別の世界線に生きる自分自身だ。
「え、これ…」
「信じ難いと思うがあんただ。信じてくれ」
男は真剣な眼差しでチハヤを見ている。チハヤは戸惑い写真を再度見つめる。
人物以外の物に目をやる。人物の周りに写っている建物は、現代からしてだいぶ古いものだ。歴史の教科書で見るような。
写真は現代撮ることの出来る鮮やかな色彩ではなく、ほとんど白黒に近い。写真の切れ端もところどころ欠けている。
とても綺麗な状態とは言えないが、大事にされてきたことがわかった。
「えっと…」
「悪い、いきなり。びっくりするよな」
男はしゅん…と肩を落とした。
「変なこと言うかもしれないが、昔に会ったことあるんだ。俺ら」
チハヤは写真を手に取り、写真と男を交互に見た。
「信じます」
チハヤがそう言うと、男は肩をぴくりと跳ねさせた。
「ありがとう」
男は微笑んだ。
ザー…
窓の外で雨が降っている。
(そういえば通り雨が降るって言ってたような…)
テラス席に座っていた人達が喫茶店の中に入ってくる。
「そろそろ出ないか。傘、持ってるか?」
男は立ち上がる。
「えぇっと、持ってないです」
「そうか、じゃあ俺の傘に入ればいい」
「え」
男は席から離れ、カウンターへ向かった。颯爽と会計を済ませドアの前に立っている。
チハヤは急いで男に駆け寄る。
「お金…!返します!」
「いい、また会った時に返してくれ」
男はあたかも『次』があるような口ぶりだ。男はドアを開け、ドアを押えたまま、チハヤに、どうぞ。と言わんばかりに先に出るように手の動きで促した。
チハヤがドアの外に出ると、続いて自分も外に出て静かにドアを閉めた。
喫茶店の中から微かにありがとうございました。という声が聞こえた。
男は傘立てから黒い傘を手に取り、空に向かってバサッと広げた。
「ほら、入れ」
男の声は喫茶店に入った頃に比べると明らかに柔らかく明るい声になっていた。
チハヤは一瞬躊躇ったが頭を軽く下げ、言われた通り傘の下に入った。
「あの、1番近くのコンビニまででいいです。そこでビニール傘買うので」
「わかった」
男はチハヤのペースに合わせて歩いてくれている。
一人用の傘の下に二人が収まる訳がなく、肩が触れるほど近ずいても男の肩は雨に濡らされていた。
指摘する義理もないとチハヤは特に何も言わず、なんとなく辺りの建物やいつもなら目に入らない看板を見上げながら歩いていた。
お互い言葉を発することもなく沈黙が続いている。雨が傘に弾かれる音がいつもより大きく聞こえた。
男の動きがピタリと止まった。それに気づいたチハヤも雨にあたるぎりぎりのところで止まった。
「着いたぞ」
気づくともうコンビニに着いていた。
「ありがとうございます」
「敬語はやめてくれ。あと連絡先、交換しておかないか」
「いいで、あ、いいよ」
いいですよ。と敬語を使おうとしてしまい咄嗟に、いいよ。と言い換える。男は優しく微笑んだ。ふとこの顔を女性が見たらイチコロなんだろうな。と思った。
連絡先を交換する。チハヤはそこで初めて男の名前を知った。
男はチハヤがコンビニの自動ドアを通るのを見送ると、どこか名残惜しそうに背を向け歩いて行った。
チハヤはコンビニでビニール傘とペットボトルの飲み物だけを買って短い時間でコンビニを出た。
その後は、本屋に寄ってすぐに帰路を歩き家に帰った。
その間もチハヤはずっと男のことを考えていた。チハヤは遅めの昼食を摂ろうと冷蔵庫を開いた。
(卵と牛乳、買うの忘れた…)
― 『0からの』