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10/9/2025, 11:12:07 AM

「一緒にいて楽しい人」
自分自身だけじゃなく、自分の価値観を受け入れてくれる人が一緒にいると安心する、と思ったことはあるだろうか。考え方や感情の波が似ている人、相手の違いを否定せず受け止めてくれる人、表面だけで判断せず、内面を見ようとする人など、このようなタイプの人が当てはまるだろう。そういう人は、少数派でたくさんいないかもしれない。でも、少なくても一人でも本当に自分を理解してくれる人がいれば十分だと、私は思う。

ただ、今もこれからも価値観や波長が合わず苦手だと感じたり、避けたい人は少なからず一人はいるだろう。私も価値観や波長が異なる人に対しては、受け入れようと精一杯だった。誰かを理解しようとするのは素敵だし、いいことですが自分を犠牲にしてまで理解する必要はない。少しずつ無理に合わせず、自分のペースを守ることで気持ちが少しずつ楽になると思う。


私は自分の意見をしっかり持っていて、精神的に自立している人とは安心して関われる。これは人間関係もそうだし、恋愛関係にも当てはまる。例えば私と仲良くしているAさんが突然、他のグループのBさんの悪口を言っていたとしよう。Bさんってガリガリやし、イモみたいでキモいよねみたいな感じだ。それを聞いた私以外友達はどう思っているかはわからないが、そうだねと同調している。当然、私は残念だなと思う。今まで一度も悪口を言ったことのないAさんが、まさか人を悪く言う人とは思っていなかったからだ。その時、私はAさんたちとは友達として関わりたくないと思う。

その時はその場で反応せず、後から自分の気持ちを伝える。その場で伝えるのは、少し気持ちに整理がついていないのと空気が読めない人と思われるのが嫌だからだ。後で放課後、誰もいなくなった時に教室に集合と声をかけて、今日AさんがBさんの悪口を言っていたのを聞いて、私には合わないと思った。これからは友達じゃなく、同級生として接したいと伝える。もしごめんねやそんなつもりじゃなかったと誠実な気持ちが伝わり、謝罪があった場合は、そうだったんだ、いいよと後から考えてこれからも続きそうだったら友達関係を続ける。Aさんは本当に誠実で優しい人なんだと改めて見直したから。しかし、反対に謝罪や態度を改める様子もなく今後も悪口を言っている状況なら、このグループからは離れようと決意する。Aさんたちとは価値観が合わないとわかったし、一緒にいても楽しくないししんどいから。

もし少し想像するとするなら、誠実な謝罪をしてくる人と謝らずに悪口を言い続ける人、それぞれのタイプにどんな印象を受けるだろうか。私は前者は本来が誠実で、優しさがあり自分の未熟さを理解し、成長しようと常に一生懸命な人だと感じる。私の性格と似ていて、価値観も合いそうだと思うので関係を築くなら前者の方がいい。反対に後者は表裏が激しく、悪口を言うことで自分の心を満たそうとしている人だと感じる。本当の性格は分かりませんが、人を悪く言うことで価値を下げたり、悲しませる行為は何より嫌だからだ。その人は見る世界が狭いのだと思う。もっと今日この力フェ行きたい、東京行きたいなど広い世界を見て前向きに考えればいいのにと思う。





10/9/2025, 6:45:16 AM

あの頃

同級生との関係で「引かれた」「陰口を言われた」
経験って、自分の存在そのものを否定されたように感じてしまって、本当に苦しい。今まで同級生は優しく接しくれたのに、ある日突然悪口や陰口を言われた。しかも、毎日のように見聞きしていて、心が休まる時間がほとんどなかった。気のせいじゃない?と親に言われたのも辛かった。親に信じてもらえなかったことが、余計に孤独感を強めてしまったのだと思う。まだ過去の人たちの顔や名前がはっきり浮かぶ。それは、心が「まだ整理しきれていない」証拠だ。無理に忘れようとすると逆効果で、かえって強く思い出してしまうこともある。だから「忘れなきゃ」ではなく、「思い出してもいい。でももう自分はそこにいない」と少しずつ距離を置く考え方に変えていくのがいいと思う。

ただ、最近は同級生との関係から2年経ったのか、同級生を思い出す時間が減って、全員を覚えているわけではなくなってきた。時間がちゃんと解決して、味方をしてくれたのだと思う。記憶が自然に薄れていくのは、"無理に忘れようとせずとも、心が少しずつ整理していっている”というサインだ。

そして、今考えると同級生のあの優しさはだったのかという気持ちが強くなった。人って、他人の前では良い顔をしていたり、場の空気に流されてしまったりすることがある。優しかったのに、裏では違ったという矛盾は、相手の心の弱さや集団の圧力のせいであっだとしても、私が原因だったのだろうかというのは今でも変わらない。

同級生はどんな人たちだったのか。人として未熟で、他人の気持ちに深く寄り添う力が足りなかった人たちだったのかもしれない。たとえば、長文のLINEを見て「重い」とか「引く」と感じてしまった人たちは、相手の気持ちを想像するや自分と違うタイプの人を理解する柔軟さが足りなかったのだと思う。でも、それは「性格が悪い」とか「冷たい」というよりも、当時の彼らがまだ人間的に成長途中だと思う。つまり同級生たちは未熟だった、私はそれと違って少し理解していた。この差が、当時の苦しい出来事を生んでしまったのかもしれない。

ただ、今はもう彼らの性格を理解する必要も、無理に許す必要もない。彼らがどんな人であっても、もう私の人生には関係ないし、むしろ「自分の心を守る方に意識を向けていくこと」が、これからの人生を豊かにすると思う。