影の薄い子だった、遊んでいても何処か淋しげな儚げな子だった。
小学校に上がると、友だちも出来て少しは明るくなるだろうと親は期待したが。
あいも変わらず、儚げな子であった、
心配した祖母が、何処へでも連れて回ったが相変わらずであった。
そんな時転機が訪れた。
祖父が仕事の寄り合いに連れて行った先で、仔犬を貰ってきたのである。
面倒を見るのは、お前の役目だと祖父に言われ。
姉妹の様に、過ごすうちに明るくよく話す子に変わって行った。成長した仔犬は、立派な秋田犬になり。
この子も、美しい娘に成長したのでした。
娘と愛犬は今でも私の宝物。
たくさん生きて来たので、思い出は有りますね!
嫌な事、嬉しかった事、哀しかった事、悔しかった事、
色々有りますね!
感情ってなかなか、表せないよね。そんな事も有った。
何かそれぞれまとめて生きて行くって事かな。
若い時は、平凡何で嫌だなぁって思うけど。
それが一番難しいのよ、たくさん色々有るのが良いのよ。
愛犬が死んだ、十五年一緒に居てくれた相棒が死んだ。
辛い時、悲しい時そばに居てくれた相棒が死んでしまった。
犬は、飼い主が悲しいと慰めてくれるものらしいが家の相棒は違った。一緒に泣き出すし、怒ると怒りだす。
まるで、私の感情のままだった。
哀しくて、淋しくて泣きくれる日々。多分相棒も鳴いているだろう。
だからもう泣かない、笑うと嬉しそうに走りまわっていたから。
そんな私を見て、友達が恐る恐る籠から子猫を出してきた。産まれ過ぎちゃって、何とかしてと!犬から子猫かぁ〜い。
仕事帰りに、買い物でもして帰ろうと足早に歩いていると。公園で遊ぶ娘が見えた、もう一人で遊びに来れる様になったんだなぁ〜。お友達とも仲良さそうにしている。
少し寂しい気持ちも有るが、良い事だと納得させる。
買い物を終え、公園を通り掛かると娘が抱き付いて来た。
その時、さぁっと風が吹き付ける娘を抱きしめ。
秋風さんありがとう、まだまだ娘は私の腕の中。
朝靄の中を歩きながらこんなに周りが、真っ白に染るのを不思議に思いながら歩く。
一人では少し心細いが、頼もしい愛犬が先頭を歩いてくれる。早すぎた散歩に後悔しながら、歩いていると先の方に誰か歩いている。
愛犬が低く唸る、何だろうと目を凝らして先を見る。
狐だ、真っ白の毛の狐だ。
なんて綺麗な毛並みなのだらうか、思わず見惚れていると。
愛犬が後退りして来る、おそろしくなったのだろう。狐は、見透かしたように近付いて来る。
すーつと近付くと、愛犬には眼もくれず足元に座り込む。
よく見ると、哀しげな目をして見上げている。
そして、すくっと立ち上がり離れて行く。
ふっと耳元に、また会いましょうと聴こえた気がした。