久しぶりに見たその顔は
とても穏やかなものだった
いつもどこか疲れた表情をしていたのに
憑き物が落ちたような
清々しさ?いや、晴れやかさ?
いや、安らかさを感じさせる顔をしていた
久しぶりに見るどこまでも真っ直ぐな
けれども暖かみのある優しい目
その瞳にあてられて
こっちまで心穏やかになる
安堵した空気が
二人を包んで取り囲む
永遠に続くわけもない
けれどその時間を切望するでもなく
ただただ夢中で見つめ続けた
互いのその安らかな瞳を
私があそこで出会わなければ
最愛の人を不幸にしなかったかもしれない
私があのとき運命に抗わなければ
出会わなくてすんだかもしれない
そのかわりこの世にもいない
出会った時から思っていた
犬になって出会いたかったと
忠犬としてそばで支えたかった
人である必要はなかった
ただ、主の幸せを、笑顔を、癒しを
傍にいて守りたかった
ただ、それだけだった
何度も伝えたんだけどね
毎回断られてしまった
人でなきゃできないことがあるから
犬になってはダメなんだとさ
はてさて、どうしたものか
離れてからずっと、
愛する人に試練の日々が続いている。
一つ一つが重く、
私の助けなど直接的な解決には繋がらない。
ただ、相手の力を信じて、
落ちかける心を支えてやるしかできない。
日々身を削っている。
傍にいてやることもできない。
ただただ、少しでも早く
平穏な日々を取り戻せるように。
そう祈り、支えてやることしかできない。
心の底から笑える日を。
何も考えず落ち着ける時を。
1日でも早く、平穏な日常が
あなたに訪れますように。
あれしなきゃ
これしなきゃ
ほら、あれだって
目につくことを片っ端から処理していく
やけに今日は軽快だ
普段の重い腰は何だったのかと
いつもこれくらい軽快であればいいのにと
ひととおり処理し終わると
やるべきことが見つけられない
いいや、ある
本当はある
もっと大きな爆弾が
何かした気になってる間に
安心感を得ようとしている間に
どんどん危険度を増していく爆弾が
そう、今までのことは現実逃避
すべきことから目を反らす
小さな達成感の積み重ねと
増す罪悪感を萎ませる
悪魔の誘惑
枝先に
今にも離れていきそうな枯葉が踊っている
ビュッと風が吹いた拍子に
はらり はらはらと
宙を舞う
ひらりと地面に着地した枯葉は
風雨と微生物の力を借りて
時間をかけて次なる植物の栄養となる
世代を越えた循環を織り成す
そんな腐葉土で思い出した話がある。
大学生の頃、砂防学の講義で聞いた話だ。
よく土砂崩れが起きた時に
「80年住んでて山が崩れたのは初めてだ」
「何十年もずっと崩れていなかったのに」
とインタビューで答えるのを聞くと思う。
山というものにおいて
80年崩れていなかったのは
安全を示す指標にならない
むしろ、危険であると思ってもいい
たしかこんな話だったように思う。
日本において、山には傾斜があり、崩れて平坦になろうとしている途中にある。
平坦になった状態が安定なのであり、傾斜があるうちは崩れるのが『当たり前』なのである。
(厳密には安定勾配で安定するのだが、割愛する)
木の葉が落ち、腐葉土となり、年々、崩れる素材である土壌が堆積していく。
崩れなかった年月が長ければ長いほど、より多くの土壌が堆積しているわけだから、「急な傾斜があるのに、長年崩壊していないところ」ほど、危険なのである。
専門家ではないため、齟齬があるかもしれない。
けれど、長年崩れていないところほど、崩れる危険があると知った時、私の中の安全神話は大きく崩れたことを覚えている。