梅雨
梅雨どきは境が薄くなるのよ。すうすうと薄くなるあちらとこちらの境。ほら見て。川の土手を蛍が飛んでゆくわ。明日はきっと雨だから、こんなに蛍は見られないでしょう。今夜はこんなに綺麗だけれど。ねえ、あの蛍たちもこのすうすうと薄くなる梅雨どきの境を越えてきた子たちなの。あなたに会いに来たのかもねえ。うふふ。そうよ、私もあなたに会いに来たの。梅雨どきはあの世とこの世の境が薄い。あなたは私を覚えているかしら?
無垢
不思議な少年の名は秘す。彼の年齢は一万六千歳。私は彼を仰ぎ見る、ということはない、なぜかというと彼は案外チビだからだ。これをいうと彼は怒るが。チビなサタンの甥は指先で人間をひねりつぶしながら「みんな狂えば幸せなのにねえ」というが実際問題こいつはほんとの狂気を知らない。何にも知らないただ力強いガキであり、こいつこそは悪魔であり天使であり、これこそが無垢であろうと思うその指先にひねりつぶされてまた人が死ぬ。
終わりなき旅
『果しなき流れの果に』なんて本が前世紀に存在するのだから、「終わりなき旅の終わりに」という物語が存在してもいいだろうと思いながら見る南の空にうみへび座。私たちはあそこに向かって太陽系ごと長い長い旅の途中なのだ。行先が遠すぎて終わりなんか見えない終わりなき旅に地球人全員参加してるんだぜあなたも私も、夜の窓に貼り付いてるアマガエルも。
ごめんね。このお題は書く気にならない。
「ごめんね」
半袖
自分の半袖の発音は標準語とアクセントもイントネーションも違う。違うのはわかってるの。わかってるけど私の発音で言うのよそれが私にとっての半袖だもの!と力説するきみをぼくは微笑ましい思いで見つめる。アクセントが違うくらいかわいい。うん、本当にきみはかわいいよね。ぼくはまず発音、いやそれより先に音声とは何か学ばねばならなかった。ぼくがいた異なる世界に音はないんだ、でもかわりに����があるよ、愛するきみに����を贈ろう。