心の中に消えない灯火がある
しかし、その周りには針の山、毒の沼、怪獣が住む谷がある。僕はいつだって灯火の火に手をかざしたいのに、なかなか実際は手前の煩悩の地獄に足をとられ精神を病む。
それでも、どんなに忘れそうになっても、消えない灯火はたしかに存在するのだ。生まれた時から、けして消えないその光に意味などないが、だからこそ無垢な白い炎は消えないのだろう。命尽きるまで。
薫る金木犀の香りは季節の歯車がまた一つ秒針を刻んだのを知らせる
ほのかなオレンジ色の花弁
私はこの時期に発売される金木犀をモチーフにしたコスメに弱い
しかし、たまたま通った公園に咲く金木犀の香りには
どんなコスメも叶わないと思ってしまう
「涙の理由」
自己嫌悪からの被害妄想
止まらない想像は体と脳を蝕んでいく
それでも生きて、足掻いて、と何かが囁くから
呼吸を続ける、涙を流しながら
絶えず脈打つ心臓を抉ることができない
心音を消す一歩の踏み切りが私にはできない
ならば、脈打つ心臓を楽にしてやろう
流れる血の流動から生み出される爆発的なエネルギーを自己理解から自己肯定へと促すのだ
擦り切れた脳はもはや感情は機械的かもしれない
それでもいい。呼吸しているのならば、それも一つの正解でいい。
「ここにある」
悲しみの雫も
痛みの矛先も
怒りの矛盾も
脈動する血流から生まれる
ここに在る
それだけが真実
「もう一歩だけ、」
もう一歩だけ、進む勇気があれば、私は自分の人生を生きれたのだろうか。
高架下から、虚空を見上げる。
規則正しい時間通りに、電車は通っていく。
その揺れる音を聞きながら、私は今日も何もするでなく、この場所で佇む。そう、私は高架下の幽霊。
生前の記憶は朧げだが、高架下のこの場所で、自分で命をたった事だけは覚えている。
それから何年過ぎたかわからないが、私は町のノイズと化していた。成仏?いつかできるんだろうか、できる気がしないけれど。それでも、世界は朝が来て、夜が咲く、その繰り返しをただぼーっと眺めるのも飽きてきたところだった。
ある日の事だ。高架下に迷い犬がやってきた。
1歳くらいか、まだ若い子犬とも成犬とも言われぬ風貌の柴犬だった。
その犬は、確かに私を視界にとらえた。
唸るかと身構えたが、実際は尻尾をふって愛想よく舌を出してまとわりついてきた。これにはびっくりした。動物は感覚が鋭いというが、こうも簡単に幽霊である自分の存在を感知されるとは露ほどにも思っていなかった。
その犬を私は心の中で、まろと名づけた。なんとなく
、眉毛がまろ眉だったからだ。
私は涙はもう出ないし、特に感情が湧き起こることもなかったのだが、まろとの出会いは幽霊ライフにおいて、思わぬ癒しとなった。
第一可愛い。撫でることも、あやす事も、ご飯をあげる事もできないが、まろは落ち着き払った様子で、高架下の私の隣に座った。
時折、お腹を見せる事もあった。こんなに警戒心がなくて、まろは生きていけるだろうか。
不安に思う事もあったが、2日くらいだろうか、
まろは私の側でくつろいでいた。
3日目の晩にまろは突然ピクっと耳を立てて、彼方の方を見やる。そして今まで聞いたことのない甲高い声で笑った。確かに笑ったように私は感じた。
その方角をみて納得した。まろの飼い主がやってきたのだ。
「いえやす!」
「わん!」
まろ…もとい実の名前をいえやすと呼ばれた柴犬は、飼い主の元へ駆け寄り、抱きしめられた。
「よかった!無事で。探したんだよ?怪我してない?さぁ、お家帰ろう?」
「わん!」
飼い主はリードをまろの首輪に繋ぎ、帰ろうとする。
すると、まろは私の立っている方を振り返り、「わん!わん!」と別れの挨拶をしてくれた、ように思えた。その行動に私のもう動いていない心臓が確かに温かくなるのを感じた。
飼い主は不思議そうに高架下を眺める。
そして、なんと一礼した。
私はその行動に驚きを隠せなかった。
彼は私を視認してはいない。それでも、大好きな愛犬と再会できたこの場所に何かを感じ取って一礼をしたのかもしれない。
私はまろと飼い主を見送りながら思った。
私ももう一歩だけ、誰かと歩み寄れたら、高架下の幽霊にはならなかったのだろうか。
初めて、死んだことを後悔した。
その時だ。身体中が温かくなり、唐突に悟った。
これが、成仏か、と。
高架下に今日も電車の音が轟音をたてて鳴り響く。
世界は廻る。幽霊がいてもいなくても。
ただ、とある犬と飼い主の心の中にそっと確かに風が吹いたのだった。