愛情
暇な時ほど愛情を注げとどこかの誰が言ったような
暇ではないにしろ余裕がないと愛情は注げないよな
愛情がなくなる前に自分を愛せよ
夫婦
おはよう、おやすみをずっと言いあえたらいいよね。
それも押し付けなのかな、と思うけど。
好きな食べ物を食べたいのに作ってくれない。
健康を考えていて。
それも押し付けなのかな、と思うけど。
休日は出かけたい。
俺は家に居たい。
それも押し付けなのかな、と思うけど。
繁忙期でメンタルやられてるんだよね。
私もなんだよね。
それも押し付けなのかな、と思うけど。
それでもまだ一緒に居られるのが、夫婦なのかな。
行かないで
わたしにとってのあなたはかけがえのない存在で、
あなたにとってはそうではなかっただけ。
ただの独りよがり、閉店ガラガラ。
それなのに、言って何になるのか。
惨めな自分を惨めたらしめるだけ。
衣替え
年がら年中同じ服を着ていた。一々服を選ぶのも面倒だし、寒ければ一枚足して暑ければ一枚脱げばいい。そんな自分をひけらかす訳ではないが、こっそり合理的な人間だと思っているところがあった。そうだ、今は思っていない。
そろそろ同じ服35号の糸が解けてきたから285号を買い足さないとと思っていた時のことだった。寒くも暑くもなく、同じ服のベースとなる服で事足りる気温のはずなのにやたらと汗ばんでいた。カイロや温感シップを使うことはまずあり得ない。何故だ。手当たり次第、服の上から自分の体を触ってみても異常は無さそうだ。ひとまず一枚脱いだ。それでもまだ暑い。念のため熱を測るが平熱。もう一枚脱いだ。まだ汗が滲み出て冷えることを知らない。何枚も何枚も脱いだ。まだ暑い。一体どういうことだ。
やがて裸になった自分を久しぶりに鏡で見たところ、同じ服がすっかり皮膚に癒着してしまっていた。あまりにも同じ服を着すぎたのか。このままでは服を着なくても過ごせるが裸のままではバレたら大事だ。流石に頭を抱えた。
ふと、同じ服が入っている箪笥の隣、昔々に使っていた服が入っている箪笥を見つけた。ものは試しと子供用の短パンを無理やり足に通してみた。すると皮膚と同化していた同じ服がペロンと剥がれ落ちた。同じ服を着続けることは合理的でもなんでもなかったのだ。
同じ服284号を着込み283号までの同じ服をまとめて袋に入れ、ドンドンダウンに売りに行った。品は良いものだったのでそこそこの金になった。金はドンドンダウンの中で循環し同じ服が入っていた袋には春夏秋冬の服が入る結果となった。こんな出来事、越して行った友に伝えずにはいられない。一週間後、私は書き終えた手紙を投函した。
———
友へ
すっかり秋の頃、いや、夏と秋を行ったり来たりしている気もするが、ともあれいかがお過ごしだろうか。こちらは衣替えをして服が癒着することもなく過ごせている。同じ服は一着だけになってしまったが、たまに眺めてはあの日々を懐かしく思うよ。君も癒着をしてしまった時は別の服を着るしかない。だから私と最後に会った時に着ていた服は絶対に捨ててはならない。いいね?
君の友より
———
声が枯れるまで
部屋に一人篭って青白いモニターの前でキーボードをカタカタやってる。テレワークになって2年は経っただろうか。ただ家で仕事をしているだけなのに曜日感覚や時間経過の感覚が薄れていくのは何故だろう。一人暮らしでテレビもない。触れるメディアといえばSNSか。耳が淋しければラジオを聞くこともあるが毎日決まった時間に聞いている訳でもない。本当にただの気まぐれ。
これといった矜持がある訳でもない仕事を毎日決まった時間、カタカタやったら日が暮れている。味なんてあったものではない。無味無臭の劇薬とは己そのものかもしれないと、まるで思春期特有の尖った自我の総称のようなことを思う。それとは真逆で、このままでは風景に同化して消えてなくなってしまいそうなくらい、自我が薄れているようにも思える。こういう時に湧き上がるのが承認欲求なのかもしれない。自分はここにいると誰かに証明してほしい。気づいて欲しい。手っ取り早く済むのはSNSかもしれないが、あれもまた知識と技がないと中々バズれない。と、なると自分の承認欲求を満たすにはどうすれば良いのか。
ただ目の前の画面に向かって叫ぶ。声が枯れても知るものかと、自分でも驚くような大声で叫ぶ。すると隣室からドォン、という怪獣が一歩踏み出したかのような音が聞こえる。ああ、今日も居てくれたか。
玄関の方でカタリと何かが投函される鳴る音がした。モニターの隅にあるデジタル時計を見れば丁度15:00だった。一休みするかとポストを開いて見ればA4サイズのコピー用紙に赤いクレヨンで「67てん」と書かれていた。この前は「40てん」だったから、評価が上がったようだ。ミミズの這ったような字からして子どもだろうか、割と辛口だ。しかしいち叫び手として評価を得られることを素直に喜んでしまっている自分がいる。この波風とは無縁の凪のような生活の中では既にかけがえのないもので、隣室の誰かにとってもそうであったら良いと、密かに願っている。