声が枯れるまで
部屋に一人篭って青白いモニターの前でキーボードをカタカタやってる。テレワークになって2年は経っただろうか。ただ家で仕事をしているだけなのに曜日感覚や時間経過の感覚が薄れていくのは何故だろう。一人暮らしでテレビもない。触れるメディアといえばSNSか。耳が淋しければラジオを聞くこともあるが毎日決まった時間に聞いている訳でもない。本当にただの気まぐれ。
これといった矜持がある訳でもない仕事を毎日決まった時間、カタカタやったら日が暮れている。味なんてあったものではない。無味無臭の劇薬とは己そのものかもしれないと、まるで思春期特有の尖った自我の総称のようなことを思う。それとは真逆で、このままでは風景に同化して消えてなくなってしまいそうなくらい、自我が薄れているようにも思える。こういう時に湧き上がるのが承認欲求なのかもしれない。自分はここにいると誰かに証明してほしい。気づいて欲しい。手っ取り早く済むのはSNSかもしれないが、あれもまた知識と技がないと中々バズれない。と、なると自分の承認欲求を満たすにはどうすれば良いのか。
ただ目の前の画面に向かって叫ぶ。声が枯れても知るものかと、自分でも驚くような大声で叫ぶ。すると隣室からドォン、という怪獣が一歩踏み出したかのような音が聞こえる。ああ、今日も居てくれたか。
玄関の方でカタリと何かが投函される鳴る音がした。モニターの隅にあるデジタル時計を見れば丁度15:00だった。一休みするかとポストを開いて見ればA4サイズのコピー用紙に赤いクレヨンで「67てん」と書かれていた。この前は「40てん」だったから、評価が上がったようだ。ミミズの這ったような字からして子どもだろうか、割と辛口だ。しかしいち叫び手として評価を得られることを素直に喜んでしまっている自分がいる。この波風とは無縁の凪のような生活の中では既にかけがえのないもので、隣室の誰かにとってもそうであったら良いと、密かに願っている。
10/22/2024, 7:07:08 AM