彼女は望んでいた。彼にまた会うことを。しかし、それは叶うことは無い。
彼は離れて行っていた。もう二度と会うことは無いことを理解していた。
「また会いましょう」そう願っていても、もう会うことはできない。
誰も生贄にしてくる場所に戻りたいとは思えない。
悔やんでも悔やみきれるものではない。
今ではもはや、過去の栄華のみが花咲く所となっている。枯れ木によるぬるま湯。そして、冷めていくことを確定されている。
彼は彼女のいる地に行くことは二度と無い。どれだけ彼女が願おうとも。
再会を願う幻想はもはyパラノイアと化している。そのことに気づいているのは彼だけ。
彼独りだけがそのことに気づいているーー。
ーー或いはそれが彼だけのパラノイアなのかもしれない。
彼によるパラノイアだとしても、彼がいたデータと不在になった後のデータ。
二つを見比べれば、彼が生贄にされていたことは、一つの明白なのであるーー。
人というのは、人生が詰まらなくなるとスリルを求めがちになるのかも知れない。
退屈な日常から抜け出そうとして、ぬるま湯から出るかのように、スリルを味わいたくなる。
だが、スリルに呑まれるという可能性を考えているだろうか。自分はスリルに呑まれるわけがないと、思い込んでいないだろうか。
日常の中に潜むスリル。そんなにスリルが欲しいのならば、日常の中からスリルを見つけ出してみるといい。
分かりやすいものや、分かりづらいもの。
それらを根気強く探し抜いてみればいい。
薬は毒に、毒は薬に。それぞれ変わるもの。
身体を傷つけるスリル。精神を傷つけるスリル。どちらのスリルにするのか。
スリルを求めるあなたは、どんなスリルを楽しみたいのだろうか。
それは私の知る由もないことだーー。
それは羽ばたかないと思われていた。
羽根が傷ついているわけじゃないのに、弱かったから。
けれど、それは力を蓄えていただけだった。
長い長い間、ずっとずっと。果てのない時間を。
羽ばたけない鳥として、揶揄われながらも。
だがしかし、揶揄われる時間は終わりを告げる。
彼らがいつもと同じように揶揄おうとしていた時、その時はやって来た。
飛べない翼を持つはずの鳥。その鳥が羽ばたき、見下ろすようにチラリと見て、飛び去っていったのだ。
そして、揶揄っていた者たちは衝撃を受ける。
飛べない翼を持つ鳥がいなくなったことで、責任を追及された。何度も何度も幾度となく。
まるで、揶揄っていた鳥がいなくなることで、仕返ししているかのように。
否定しても否定しても、追及の手は止まない。幾度となく責め立て続けられる。そして、彼らはすっかり変わってしまった。
一方その頃、飛べないと思われていた鳥は自由に翼を羽ばたかせて大空を飛んでいた。
風の噂程度だが、揶揄っていた者たちはノイローゼになってしまい、力を失ってしまったようだ。因果応報である。
倒れてしまった者と、倒れなかった者。揶揄っていた者と飛び去った者。
全てを受け入れる大空の下、飛べない翼を持っていた鳥は羽ばたいていくーー。
ススキが揺れている どこから現れたのか分からない
ゆらゆらと揺れている 長く細い穂を風に揺らしながら
密集しながら揺れている 秋の情景として
昼にゆらゆら揺れている 生命力を感じさせながら
夜にゆらゆら揺れている 枯れ尾花として憂いを帯びながら
満月に照らされながら揺れている 静かに活力を得るかのように
ゆらゆらと揺れている 心を通じ合わせるかのように
静かに揺れている 隠退した老人のようにひっそりとーー
彼の脳裏はとある考えに支配されていた。思いが満たされていた。
その考えというのは、何かを触っていないと不幸が起きてしまうというものだった。その何かというのは不意に思考に降って来る。
近くにある手すりに触ること。ボールに触れることなど、その時々に応じて変わっていた。
時には、尻に触れという異性にやればセクハラになるものもあったが、彼は柔軟に考え、自分の尻を触ることで支配する考えと戦っていた。
しばらくして、自分は異常だと彼は薄々気づいていた。しかし、どうしたらいいのか分からない。
その考えに従わなければ、何かしらの不幸が起きてしまう。
その不幸を避けるためには考えに従わなければならない。
彼は悩んだ。自分で調べてもいた。そして、気づき、認めざるを得なかった。精神病であることを。
受診するための予約をした。支配する考えは何も言わなかった。
受診日が近づいて来ている。支配する考えは何かをさせようと、している。彼は従っていく。時には柔軟に対応して。
そうして、受診日を彼は迎え、先生に話していく。考えとの戦いを。助けを求めて話す。そして、診断を待った。
結果として、彼は統合失調症に近い状態と診断された。
今でも薬を服用しながら病気と戦い、向き合って生きているらしいーー。