遠距離をしている私たちにとって、
食を共にすることは何よりも至福の時である。
今日1日のできごと、
最近ハマっていること、
今度行きたいランチスポット、
仕事のあーだこーだ、
向かい合わせになって、
ごくごく普通のごはんを食べる、
この他愛ない時間を大切にしていきたい。
ごはんを食べるという動作は
生きる上で当たり前で、
そして、沢山の時間を有する。
彼と一緒に食べられるごはんは
息絶えるまでどれくらいの時間なのだろう。
1日二食1時間✕365日✕50年?
彼との時間を数値化すると、
毎日をなあなあにしてはいけないなぁと思う。
次の休みは二人で餃子でも作って、
ゆっくり飲みながら食べようかしら。
「 向かい合わせ 」
嵐が来ようとも、
明日人類が滅びようとも、
私はあなたと一緒に夜ご飯を作り、食べ、
そして仲良く寝るのだと思う。
「 嵐が来ようとも 」
人一倍失敗がコワイ。
人がそんなに?って思うことでも緊張する。
昨日やってしまったちょっとした失敗にドキドキして、
朝、いつもより早く目覚める。
深呼吸して、心を3回叩く。
「大・丈・夫」 これが私のおまじない。
ただ、昨日の小さな出来事なんて
誰も責めたりしない。
気にもとめてなかったりする。
ただ、会社という小さいようで大きい
その籠の中で私は毎日小さなドキドキを繰り返す。
たまに、抜け出したくて、
温泉に出かけたり、寄り道しておいしいものを食べたり。
そうやって、うまいこと羽根を広げないと
籠の中で縮こまってしまうから。
帰り道、ハーゲンダッツ買って帰ろーっと。
明日ちゃんと飛べるように。
「 鳥かご 」
「昨日ね、友達が私が行けなかった時の
ランチ会の写真、
送ってきたんだよね。
あっちは、子供いたり、キラキラしてたり。
人生のフェーズが違うというか…
萎えて、距離置いちゃったよ〜。」
と、同僚がお昼の休憩室で言う。
人それぞれだなと思った。
私も先日同じようなことがあった。
私の場合、彼女の言うフェーズが違っても、
わざわざ連絡してくる友達が可愛らしく思えた。
単純に生活を自慢したい子達ではない。
家庭のことで泣いたり叫んだり、
時に離婚する!とあたしの家に駆け込んできたり。
かと思えば、そんな写真を送ってきたり。
喜怒哀楽、こんな年になっても、
母になっても、なってなくても、
馬鹿みたいに遊び回っていたあの日のように
いろんな感情を、共有している。
いろいろあっての、さらに奥なる
感情の共有だ(笑)
そんな友人が2人もいることだけで
私はきっと救われているだろうし、
救っているのだろう。
「 友情 」
ここ1週間、残業三昧。
家に帰って布団に倒れ込む。
重力をずっしり感じる。
疲労感が絶対物として見えるようだ。
はぁ…
やりがいは感じている。
それなりの地位も手に入れた。
毎日充実もしている。
でも、このままでいいのだろうか。
いや、いいのだろう。
でも、もっとすごいこもを成し遂げられる気がする。
いや、やりたいことなんてないし…
でも、、、
ふと見上げた先には窓越しに映る自分の顔。
10代の希望に溢れた日のあたしに
今のあたしは誇れるだろうか。
ガラス越しに見える自身の目の奥には
なんとも表現できぬ靄があっだ。
「視線の先には」