目的地を目指し、てくてく歩く。
地図アプリとにらめっこしながら右へ行ったり、まっすぐ行ったり。
未知の交差点をいくつも通り抜け、やっとたどり着いたのは某驚安の殿堂店。
なんか色々凄いらしいという噂を聞きつけ、電車に乗ってやって来たのだ。
はてさて、どう凄いんだろう?
気になるから行ってみよー!
本当に……色々凄かった……
迷子になるかと思った……
庭に咲いた一輪のコスモス。
それを見てふと、子どもの頃一番好きな花だったということを思い出した。
色がはっきりしていて覚えやすくて、花びらがちぎりやすかったから好きになったのだと思う。
幼稚園の時、ブチブチちぎってはおままごとなどに使った……ような気がする。
そしてその記憶と共に、今となってはどこで何をしているのかわからない彼を思い出す。
小学校に上がるまでは共に遊んだ彼。それなりに仲が良かったはずの彼。
名前ははっきり覚えているけど、向こうはきっと私のことなど覚えてすらいないだろう。
でも私の中ではコスモスといえば彼なのだ。
どこかで見たことあるなあと思ったら、過去に春恋がお題の時に『春に恋するから春恋。では夏は夏恋、秋は秋恋、冬は冬恋となるのだろう』と書いていた。
まさかの大当たり(?)である。
それはそれとして、今思うのは秋恋ってお菓子の名前とかにありそうだなあということ。
さつまいもを練り込んだサクサク系チョコでもいいし、りんごを練り込んだしっとり系のチョコでもいい。
いっそのことさつまいもとりんごのチョコでもいいな。もう既にありそうだけど!
まあそれは置いといて、やはり恋という名の付くお菓子はチョコという印象が強い。
甘く儚く溶けていくからだろうか。
でも初恋はレモンの味とも言うのでチョコは関係ないか……?
全くもって謎である。
人を愛する、それ故に人の心は豊かになれるのだろう。
誰かを愛するとそれだけで幸せになったり満たされたりする。
そして愛された分だけ誰かを愛し、その誰かもまた他の誰かを愛する。
美しく見事な循環だ。
だけどそれらは余裕がないとできやしない。
余裕がなければ自分のことにいっぱいいっぱいで、誰かのことを考え、愛することは少し難しい。
……今の自分はどうだろうか。身近な誰かを愛することができているだろうか。
気にはなるが、答えを知るのは恐ろしい……
建物に響くのは誰の足音? それは自分の歩く音。
今手を叩いたのは誰? それは自分が誰かを呼ぶ音。
それ以外には何も聞こえない。
周りには誰もいない。ここには自分しかいない。
白い建材で彩られた厳かな建物。
天井は高く、室内も広々としていて、もしかしたらここは誰かの豪邸だったかもしれないと感じさせる場所。
でも自分は知っている。
この建物はかみさまが気まぐれに作ったもの。
建物だけじゃない。この世界そのものが気まぐれに作られたもの。
この建物を出たらすぐそこは海。道はない。
建物が出来たら道はできると思っていたけど、一向に作られる気配がない。
生き物は自分だけ。他の生命体には会ったことがない。だから手を叩いて呼んでいるけど、誰も来ない。
かみさまはもうこの世界にもう来ないのかもしれないけど、自分はこの静寂の中心でいつまでも待っている。
いつかかみさまがこの世界を完成させて賑やかな世界になることを、ずっとずーっと待っている。
それくらい夢を見たって許されるよね?
だから、早く帰ってきてください。かみさま。