また会いましょうなんて言葉、私にとっては叶わないも当然の言葉だ。
そう言ってさよならした友達みんな、ここ数年会ってないんだから。
だから私はもう言わないことにした。
別れの言葉はそれではさようなら。それだけで充分。
現在時刻は午前一時を少し過ぎたところ。
明日も学校があるが、ゲームについついのめり込んで気がついたらこんな時間になっちまった。
寝るにしても腹が減っちまって何か食べないと寝られない状態だ。
よし、夜食を食べよう。
そうと決まれば廊下を抜き足、差し足、忍び足……
そーっとリビングのドアを開けて、棚からカ〇リーメイトを一箱拝借し、食う。
普段食べるよりもめちゃうめぇ! いつものチョコ味なのに!
あっという間に一箱食べ終わり、そそくさと部屋に戻る。こんな時間まで起きてて、しかも何か食ってることがバレたらお母さんに怒られるしな。
……しかしこの時間に食べると本当にいつもより美味く感じるんだよなあ。
バレたら怒られるっつースリルがより美味くしてんのかねえ?
ま、いいや寝よ寝よ。歯磨きしてねえけど、一日ぐらい大丈夫っしょ!
……そして翌日、迂闊にもリビングのゴミ箱に捨ててしまっていたカ〇リーメイトの箱を証拠に、俺はこってり絞られたのだった。
鳥は翼をはためかせ空を飛んでいる。
でも飛べない翼を持つ鳥もいる。
有名なものだとペンギンとかダチョウとかキーウィとかニワトリとか。
彼らは空を見上げて何を思うのだろうか。
いつか飛びてぇなあ……。とか、空飛ぶの大変そうだなあ……。とかなのだろうか。
それとも何も思ってないのだろうか。
考えれば考えるほどわからない。
……鳥の気持ちはボクにはまだ早かったのかもしれない。
……でも、考えなきゃいけないんだよなあ。
宿題に、飛べない鳥の気持ちを考えてみましょうって出されたからには。
ススキの思い出といえばお月見。
小学生の頃、お月見の日に空き地から何本かススキを手折って家に持って帰ったことがある。
そして自分で花瓶に生けて、月見団子を皿に並べて、隙間に剣先いかフライ(当時の大好物)を入れて、親からカメラを借りて撮った。
ただそれだけの思い出。
走馬灯のよう、という比喩表現がある。
人が命に関わるような危機的状況に陥った時、過去の記憶が次々と現れては消えていく、一種の臨死体験。
……まさかそれを僕が見ることになるなんて。
にわかには信じられなかったが、こうして見てしまったからには信じるしかないだろう。
……もう長くないんだな。
幼い頃に患った病気が少しずつこの身を蝕んでいく恐怖から解放されるという安堵と、彼女を置いて逝ってしまう心残りが涙となって目尻を伝っていく。
こんな僕のことを愛してくれている心優しい彼女。
結婚式の真似事もして、大人になったら本当に式を挙げようねと将来の約束までしたのに。……叶わなくなってしまうな。
唯一心配なのが彼女が僕の後を追ってしまうかもしれないこと。
生きていれば良いことは必ずある。僕よりも良い人が現れるかもしれない。
彼女は幸せになるべき人だから。
……ああ、眠くなってきた……
最期に脳裏に思い浮かんだのは、あの時の幸せそうな彼女の笑顔。
……どうか君は、……生きて。しあわせ……に……