「脳裏」
後回しにしたくて、思い出さないように他ごとを頑張っているのに人に言われたり急に思い出したりしてしまう。いつか向き合わなきゃいけないのは分かっている。早めに解決した方が不安もなくなるし快適に過ごせることも心の底から理解している。だけど私の性格上、すぐに行動する、嫌なことに耐えるという行動が不可能なのだ。治せ、と言われて簡単に治せるものではない。治したいとは思っていても脳や身体が動かないのだ。
昔はこんなことなかったから、いつかは治るんじゃないかと期待を寄せたり寄せなかったりしたいが、それも含め自分次第なのは理解している(こういう言い訳している自分もダメなんだろうな)
何をするにしても努力が必要なんだろうな。すぐには無理でも、少しだけ、ほんの少しだけ頑張ってみよう。まずはご褒美をネット時間にして…
「意味がないこと」
生きていく上で物事全てには"意味がある"んだろうか。
よく言われるのが勉強。勉強の過程には社会で生きていく上で必要な力が身につくと思う。どうやったらテストで点数が取れるのか。効率よく勉強を進めるには何から手をつければ良いのか。
もちろん勉強自体にも意味はある。検定を取得し就職に役立たせられる。身の回りにあるものはどうやって出来上がったのか、歴史を知ることで愛着や昔の人との繋がりを感じられる。
こう考えれば、勉強は意味がある。
ただ、私にはどうしても意味があるのか分からないものがある。私の存在だ。私ごときが生きていても社会の役に立つわけではないし、なんならいない方が効率よく回るんじゃないかとも思ったりする。大丈夫だ、自殺をする気もないし病んでもいない。ただの、私の考えだ。
いつか、私の存在の意味が見出せるように努力はしてみようかな。
「あなたとわたし」
あなたにとって私はどういう存在、どういう分類に仕分けられるのだろうか。友達、同期、先輩、後輩、近所の子、命の恩人。優しい、一緒にいて楽しい、怖い、威圧感がある、気まずい。
あなたとわたしの関係性はお互い共通認識ができるが、私がどういう存在かという問いに関しては"あなた"にしか分からない。それを深く考えすぎるのか、私はいつも、あなたからの返事をお世辞として受け取ってしまう。たしかに、こんな出来事から見るとそうだね。となることもあるが、それはあなたから見た私であって、他の人から見た私はそうではないかもしれないと考えてしまう。だから、「いやいや、そんなことないよ。」と答えてしまう。
これだけ見ると、私のことをただの恥ずかしがり屋だと捉えることもできるだろう。しかし人を真っ向から信用できないことが、どういう存在か、に対して素直に受け取れない問題点なのだ。
「柔らかい雨」
音が鳴っていない小雨。これ、雨降っているの?というくらい、降る様子が見えない雨。
ものすごく柔らかい。強烈で、傘に当たった時に衝撃音が鳴る雨とは正反対。
傘をさしていなくてもたいして濡れないでしょと思うけど、案外濡れたりする。あの雨の嫌いなところは、服につくとなんだかじめじめしたり、水がまとわりついたように感じること。体が濡れているようで気持ち悪いし、何より湿気が厄介。
好きな面もあるけれど、所詮は雨だ。柔らかい雨でも傘をさして、なるべく濡れたくない。
「一筋の光」
もうだめだ…あっ!この方法がある!
うわ…やらかした。待って!これで切り抜けられる!
そうなったとき私の心臓は、緊張が解けた安心でドキドキする。
助けてくれた人や解決を考えついたその時の自分は、命の恩人とでも言いたくなるくらい心の底から感謝でいっぱいだ。
思いついたもので言えば。
学生の時、テスト前日にテスト範囲のワークで分からない問題があった。友達にLINEで聞くも、返ってくるのは「わからない。」賢い子に送っても同じ返答が返ってくることもしばしば。そんなとき塾にいる友達が塾の先生に聞いてくれたことがあった。次の日、似たような問題が出題され、あの時聞いておいてよかったと思えた。