「だからさぁ、それは言い訳でしょう?」
大声ではないが、威圧的な言い方が本当にムカつく。なんなんだ、このおじさんは!
自分がいつも正しいと思っている、昭和の悪いところを引きずっているおじさんは嫌いだ。
言い訳ではなく、私には言い分がある。
第一に、もともとは彼の指示が遅い。その上ギリギリになって、原稿の差し替えを言ってきた。私にだって都合はあるのだ。その日は早めに帰らなければならなかったのに…。
慌てて対応した私の些細なミスを、彼は自分のことを棚に上げて、私を責める。
もう、言い返すのも面倒になってきた。
帰りの電車の中でも、私はそのことを反芻して、なんだかモヤモヤした。
このモヤモヤをどう処理したら良いのか。
駅前のスーパーで、いつもよりちょっと高めの肉と、有機野菜を買う。
「うんと美味しいものを作って食べてやる!」
料理を作る時は、楽しく。家族への愛情を込めて作るのが、私のルールだ。
食事ができた頃に、家族が帰って来た。
でも、昭和のおじさんの話はしない。せっかくの美味しい食事が台無しになるから。
モヤモヤした気持ちは、愛情たっぷりの食事と幸せな時間で晴らす!
まぁ、完全ではないとしても、少しだけでも心が晴れれば、明日からも大丈夫!
また、おじさんに何か言われても、軽くスルーして、私は私らしく生きるのだ。
「この風景、見たことがある」
秋の日の夕方、母のお見舞いの帰り道、兄がつぶやいた。
兄の視線の先には、夕焼けと、川と、群生するススキがあった。とても綺麗だった。
80歳になる母は、この夏から、川の近くにある老人ホームにいる。
「見たことがあるって?」と、私。
「いつだったかな?」と、兄はしばらく考えていた。
「確か幼稚園の頃、お母さんと来たんだよね。ススキと夕焼けがとても綺麗で、あれはどこだったのかなって、思い出すたびに考えていたんだ。たぶんここだったんじゃないかな」
初めて聞く話だ。私は前から疑問に思っていたことを訊ねた。
「ここって、実家から遠いよね。お兄ちゃんと私の家からも近くないし。でも、お母さんがここがいいって…。何か理由があるのかなと思ってたんだよね。思い出の場所とか?」
「僕は、何度か来てると思う。小学校に入ってから、来なくなったんだ。ちょうど、香澄が生まれた頃かな」
私と兄は、7歳離れている。なんで母は、ここに来ていたんだろう。そして、なぜこの場所を終の住処に選んだんだろう。それは、兄も知らないようだった。
次に母と会った時に、それとなく聞いてみようか。
今まで、母の若い頃の話なんて、聞こうと思わなかったし、母も話したがらなかった。
母の人生を、急に知りたくなった。