友達
友達はいないし要らない。高校までは沢山いた。と言うより沢山居過ぎた。
警視庁の警察官採用試験の2次面接で言われたような気がするが友達と言うものは多過ぎても無くても人物考査ではマイナスだそうだ。
多すぎると、所謂交際が派手な、なにやら事件に巻き込まれそうな?
無いと、特に孤立化した若者は狂暴な行動に走り易いそうだ。
結果は、そんな考査は何ら関係なく「親の面倒誰が見る大阪府警も受けてない!」と言われ不合格!
警察に誰か知り合いが居るか聞かれた。高校の同級生の名を答えた。
母方は薩摩士族で曾祖父は最初の警視総監の西郷隆盛さんと友達でしたと答えれば良かったかな。
44作目
友達より薩摩士族会同士か高校3年生の彼女が欲しい 徳博🤫
秋晴れ
(=澄み切って雲一つない空気も清らかで空が高く大きく広々として気候も穏やかな晴天)
天高く美味(うま)肥ゆる秋晴れの候
金風戦ぎ、一雨毎に秋めいて、朝夕肌寒く今年の晩秋の紅葉はさぞ麗しい事でしょう。
“夏”の足の部首は“冬頭”夏の足下(あしもと)には冬の頭が付いていますが、日中陽が照ると未だ未だ半袖にしても大阪南部では暑い日が続いています。
ここ数年、夏が長くすぐ冬が来て秋が、ほんの束の間に思えます。
食欲の秋
~今まで食べた物で
めちゃめちゃ美味かった物~
1, 和歌山県加太の大波止で釣った
幻の魚、平スズキのお造り刺身
2, 老舗の江戸前寿司職🍣が書いた本
を参考にして作った、日本海の波止
で釣った掌大の小鯛の酒一夜干し、
和歌山県雑賀崎の波止で釣った掌大
のムツの酒一夜干し
3, 料理本を見ながら作った、
焼きたてのパン🍞
4, 厚めのタコ焼鉄板で自分のレシピ
で作った昔ながらの本まもんの
タコ焼🐙
5, 果樹園芸の本に載っていたレシピ
で作った本格派のママレードジャム
🍊
6, 糠漬けの研究をして作った大阪泉
州名物水茄子🍆の糠漬け(糠ごと袋
詰めして出荷する方法を最初にした
特許取らず!土地の名産に!)
7, 羽釜で炊いた本当に銀色に輝く秘
伝㊙️の銀シャリ飯~始めチョロチョ
ロ中パッパ赤子泣いたら蓋取ろ~🍚
8, 母が団体ツアーでいった讃岐四国
のウドン道場の見開2ページの秘伝
㊙️レシピと伸ばし棒で作った冷やし
うどん🍝
9, 近くの畑を借りて作った薩摩芋の
鳴門金時、紅あずま、安納芋を鍋に
石敷いて蒸かした石焼き芋🍠、油で
揚げた揚げ芋🍠
体脂肪13パーセントにしたいのに逆に肥えてしまった 徳博😗 43作目
忘れたくても忘れられない
今まで生きてきた中で、そんな事は一つもない。
子供の頃、寝小便をチビッタ事。
幼稚園の時、卒業式で担任の女先生に「お前の顔なんか明日から見ないで清清する。」と言ったら泣かれた事。
お絵描きで自分だけ画用紙を沢山くれるので畳5~6枚ほど氷上のペンギンさんの擬人化した生活模様を書いたら、担任の先生に取られた。幼稚園の壁画にされた。幼児教育の本にも紹介された事。
ヨーロッパの童話を題材にした屋根上を少年が笛を吹きながらネズミたちを従えていく絵も取られた。府の展覧会に入賞した。その絵を写した写真1枚だけ帰ってきた事。
教育大学付属小学校進学を満員電車が嫌で断った事。ノーベル賞の山中教授と同級だったのに‥‥
小学生の1年の運動会のリレー徒競走で、自分のバトンに隣のコースの子の手が当たりバトンを落としてビリになってしまった事。その後、小2~高3まで、ずっとアンカーで1等賞を取った事。
小5まで女風呂に入っていて、女高生の天女の様なお姉さんを見て勃起したらその日から入場禁止になってしまった事。
中学の時、野球部で3年間頑張ってセンターで4番になった事。
高校の時、付き合った同級生の彼女と学校を卒業したら結婚して欲しいと言われたが、30才まで考えられないと言ってお別れした事。
大学受験で試験官の不正行為にとられる干渉行為で失点して合格を逃した事。幼稚園の時、断った同じ教育大学だった事。
大部後で高裁まで国及び文科省相手に裁判したが時効等で負けた事。
病気して死ぬかと思った事。
父母の介護して、順番に死んでいかれた事。命日忘れそうな事。
全部、忘れたくないけど、何時か忘れていくのだろう。
42作目
今いろいろ勉強中で、覚えたいけど、なかなか覚えられない 徳博😕
放課後
高校 1 年の土曜日の昼の放課後。当時、学校も会社も「ハントン(半噸=半分で噸ずら?)」と言って昼前までだった。
ひとみ(漢字で書くと“人見”もち男友達)と二人で、大阪の繁華街の食堂で 月見うどん を食べて、その脚で近くのレコード屋に立ち寄った。
中学の頃から大好きだった歌手の岩崎宏美(ひろりん、LOVEちゃん、L- O- V- E ラブちゃん~とかファンは言ってた。)の当時三千円ぽっきりのLPレコードを予約も無しに買った。
(なんか消費税が付かないと間持ちが悪い、いっそ紙幣を三千三百円札とかにして出して欲しいお釣りに手間取らない!)
本当は予約しないともらえない〇〇ホールでのワンマンショーと言うより女性だからソロコンサートの券を二人入れるやつをもらった。良く見たら、その日の開催だった。
夕方から始まるコンサートだったので、1時間程、歩いていった。会場には、ひろりん御バカと言うより、ひろりん度アホウさん達が集まっていた。1,425席満員だった。立ち見もいたような気がする。皆な男だった。真ん中あたりの席だった。“ひろりん”を生(実演)で見るのは2回目だった。
3回目のコンサートは厚生年金会館の2階席で2~3曲聴いて余りの心地良さで熟睡してしまった。前売り有料だったので一回チャラになってしまった。目が覚めた時には終わってた。2回席なのに“ひろりん”は、こっちを見て、ちょっと睨んで立ち去っていった。
二十歳に成って原田知世(15歳)ちゃんのファンに成るまでずっと好きだった。その頃 “ひろりん”は結婚した。
〈未成年でも、5歳までの年齢差のスケベ交際は認めるとか言う法律が全会一致で可決されるみたいだ。
前には最高裁で東京都の条例で検挙された、15歳女高生?と結婚を前提に交際してた男性に無罪判決がでたらしい。
戦前(産めよ殖やせよ時代)までは
~姉やは15で嫁にゆく~20過ぎは、おばさんだった。
都はるみは18の時おばさんと言われた俺も言っていた。百恵ちゃんも中3トリオの時から好きだった俺は小学生だった。〉
よちよち歩きの頃、母より俺の面倒を良く見てくれた東京から来たお姉ちゃん(とは言っても幼稚園児ぐらい)母はその子を江戸っ子ちゃんと言っていた。
そのせいか“ひろりん”(俺も、ひろりん)の歌の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の歌を聴くと、母から聞いた江戸っ子ちゃんの話しを思いだす。
ララバイは子守唄。
小学生5年の時から持てて中学校の時にはファンクラブまであったのに野球が恋人だといって交際を断り続けたら
小学生の時からロリコン、おかま呼ばわりされた。
どちらかと言うと、オネコン(お姉様コンプレックス、おねーコンではない!)の小学生だった、あべ静江、オードリーヘップバーン、カトリーヌドヌーヴ、キャンディーズの蘭ちゃん、日活ロマンポルノのお姉さんが大好きだった(当時、路地横の日活ロマンポルノのオッパイ丸見えの大看板の前を通るのが大好きな小学生だった。)
ひろりんコンとオネコンだった、今は法律厳守の18~30女性と結婚出来たら良いなの今日は乃木坂の筒井あ〇め(18)コンの🥰徳博りん🙃
P.S
“ひろりん”のお母様が鹿児島の奄美大島出身だと昨日、知りました。
わたくしの母方の祖父は奄美徳之島出身で、苗字を昇(のぼる)と申します。薩摩士族です。
登(のぼる、昇のぼり)さんもいます。一画多いですが德も(のぼる)と読みます。
二葉亭四迷と並ぶロシア正教、ロシア文学の第一人者の昇曙夢(のぼりしょむ)〈著書:大奄美史、奄美群島本土復帰に尽力〉が親戚にいました。
よく中国人のヒトと間違われます。テレサテン(澄麗君)さん、鄧小平氏には登の字があるのに日本の登(のぼり)は間違われないのに!
林(りん)さんは逆ですね“はやし”て言われるでしょ!
藩主の島津一族は秦始皇帝の末(渡来系大和)で秦(はた)氏を名乗る家もあります。わたくしも一族です。
思春期の長い間好きだった“ひろりん”
が、もしかしたら親戚なのかもしれないと、ビックリしました。“ひろりん”はわたくしの尊敬する、さだまさし氏を大明神と呼んでいます。
敬具
41作目
踊りませんか?
はたち代の頃、劇団四季のミュージカルのオーデションに900余人中最終選考10名まで残った。歌をトチリ入団出来なかった。「ワン」とか言う曲をうろ覚えで出鱈目なメロディーで歌った。結構、流行っていた曲だったので
後で「あ~この曲かぁ~」とため息が出た。
それまで通っていた演劇研修所のバレエの先生は、松竹新喜劇役者の藤山〇んび先生の長女だった。ロン毛の美人だった。マンガ「キャツアイ」の長女に似てた。もう一人助手がいた。これまた美人と言うよりキュートだった。長女先生の親戚が同期生にいた。「長女先生と助手、どっちが良い」と聞かれた。天邪鬼なので「助手」と
応えた。「両方」と応えれば良かった。 Yes, that sounds good !
40作目
バレエを、づ~とバレー(ボール)と言っていた(聞く方はいっしょかな?)
藤山さんぴ、と言われたかもしれない徳博🤑
P.S
母校の高校は今年やっとダンス甲子園で優勝しました。阪神とダブルです。
後輩さんには、元宝塚歌劇団員さんがいて、その姉妹に、劇団四季舞台女優さんがいます。
わたくしの母は宝塚歌劇団に合格したのに、戦後直ぐ、まだ家が貧乏だったので、働きに出なければならなくなり入団出来なかった言っていました。
早々