徳博

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放課後
 高校 1 年の土曜日の昼の放課後。当時、学校も会社も「ハントン(半噸=半分で噸ずら?)」と言って昼前までだった。
 ひとみ(漢字で書くと“人見”もち男友達)と二人で、大阪の繁華街の食堂で 月見うどん を食べて、その脚で近くのレコード屋に立ち寄った。
 中学の頃から大好きだった歌手の岩崎宏美(ひろりん、LOVEちゃん、L- O- V- E ラブちゃん~とかファンは言ってた。)の当時三千円ぽっきりのLPレコードを予約も無しに買った。
(なんか消費税が付かないと間持ちが悪い、いっそ紙幣を三千三百円札とかにして出して欲しいお釣りに手間取らない!)
 本当は予約しないともらえない〇〇ホールでのワンマンショーと言うより女性だからソロコンサートの券を二人入れるやつをもらった。良く見たら、その日の開催だった。 
 夕方から始まるコンサートだったので、1時間程、歩いていった。会場には、ひろりん御バカと言うより、ひろりん度アホウさん達が集まっていた。1,425席満員だった。立ち見もいたような気がする。皆な男だった。真ん中あたりの席だった。“ひろりん”を生(実演)で見るのは2回目だった。
 3回目のコンサートは厚生年金会館の2階席で2~3曲聴いて余りの心地良さで熟睡してしまった。前売り有料だったので一回チャラになってしまった。目が覚めた時には終わってた。2回席なのに“ひろりん”は、こっちを見て、ちょっと睨んで立ち去っていった。
 二十歳に成って原田知世(15歳)ちゃんのファンに成るまでずっと好きだった。その頃 “ひろりん”は結婚した。

〈未成年でも、5歳までの年齢差のスケベ交際は認めるとか言う法律が全会一致で可決されるみたいだ。
 前には最高裁で東京都の条例で検挙された、15歳女高生?と結婚を前提に交際してた男性に無罪判決がでたらしい。
 戦前(産めよ殖やせよ時代)までは
~姉やは15で嫁にゆく~20過ぎは、おばさんだった。
 都はるみは18の時おばさんと言われた俺も言っていた。百恵ちゃんも中3トリオの時から好きだった俺は小学生だった。〉

 よちよち歩きの頃、母より俺の面倒を良く見てくれた東京から来たお姉ちゃん(とは言っても幼稚園児ぐらい)母はその子を江戸っ子ちゃんと言っていた。
 そのせいか“ひろりん”(俺も、ひろりん)の歌の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の歌を聴くと、母から聞いた江戸っ子ちゃんの話しを思いだす。
ララバイは子守唄。

 小学生5年の時から持てて中学校の時にはファンクラブまであったのに野球が恋人だといって交際を断り続けたら
小学生の時からロリコン、おかま呼ばわりされた。
 どちらかと言うと、オネコン(お姉様コンプレックス、おねーコンではない!)の小学生だった、あべ静江、オードリーヘップバーン、カトリーヌドヌーヴ、キャンディーズの蘭ちゃん、日活ロマンポルノのお姉さんが大好きだった(当時、路地横の日活ロマンポルノのオッパイ丸見えの大看板の前を通るのが大好きな小学生だった。)

ひろりんコンとオネコンだった、今は法律厳守の18~30女性と結婚出来たら良いなの今日は乃木坂の筒井あ〇め(18)コンの🥰徳博りん🙃

P.S
“ひろりん”のお母様が鹿児島の奄美大島出身だと昨日、知りました。
 わたくしの母方の祖父は奄美徳之島出身で、苗字を昇(のぼる)と申します。薩摩士族です。
 登(のぼる、昇のぼり)さんもいます。一画多いですが德も(のぼる)と読みます。
 二葉亭四迷と並ぶロシア正教、ロシア文学の第一人者の昇曙夢(のぼりしょむ)〈著書:大奄美史、奄美群島本土復帰に尽力〉が親戚にいました。
 よく中国人のヒトと間違われます。テレサテン(澄麗君)さん、鄧小平氏には登の字があるのに日本の登(のぼり)は間違われないのに!
 林(りん)さんは逆ですね“はやし”て言われるでしょ!
藩主の島津一族は秦始皇帝の末(渡来系大和)で秦(はた)氏を名乗る家もあります。わたくしも一族です。
思春期の長い間好きだった“ひろりん”
が、もしかしたら親戚なのかもしれないと、ビックリしました。“ひろりん”はわたくしの尊敬する、さだまさし氏を大明神と呼んでいます。
             敬具
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10/12/2023, 10:52:37 PM