本当はいつも穏やかに過ごしたいけど。
1年の三分の二くらいはマイナス思考でいる。
働かなきゃ生きていけないし、
でも働くと人間関係やら仕事の事で悩みは尽きない。
毎日が楽しいって思えなくなったのは、いつからだったろうか。思い出せない。
毎日が充実してると思ったことは、やっぱり繁忙期が終わった後の解放感とか。行きたかった場所に計画立てて、たどり着いた時とか。
やりたいことをするための我慢だって言い聞かせて。
それを乗り越えた達成感。
いつもより遠くの場所へ行って、非現実を味合う。
それがつかの間の晴れ模様。
日常であった小さなこともプラスマイナスに反映されるけど、プラスなことは反映しにくい。
マイナスは些細なことでも気になるのにね。
今日は温泉が人いない時間帯だったから、貸し切りだった。お昼に食べた炒飯が美味しかった。
どこか頭の片隅にこびりつく不安がいる。
よって今日も曇りだった。
私の考えてることが間違いだったとしても。
私を否定する人の価値観が全て正しいわけではない。
私の意見に共感してくれる人がいるのなら。
私はその人達を大切にするだけだから。
間違っていたのなら、それは認めるし。
受け入れもする。
だけどそうじゃない人もいるだろう。
自分の価値観を押し通し、異論は認めず。
自分と違う価値観を徹底的に潰しにかかる人もいるだろう。
柔軟には考えられないし、そもそも
意見を受け入れようとする力が無いのか。
誰だって、否定されることは恐ろしい。
生きてる限り、何かしらの比較をされるのだから。
だけどよく考えなければならない。
私もその人達も人を図れるほどの物差しを持っているのかと。
私があなたを嫌いなように。
あなたも私を嫌いでいい。
だからといって、悪さはしない。
あなたのように見下したりはしない。
だけどいつかは限界点はやってくるだろう。
そんなものは痩我慢だとわかっている。
私もいつかは盤上をひっくり返す。
だから今のうちにどうぞご自由に。
好きなだけ甘い花の蜜を吸っているといい。
ずっと続くことは不可能だから。
私は枯れた花の種を育て、花を咲かせる。
春は短い、過酷な夏を耐え抜いた花はきっと綺麗な花が咲くだろうから。
新しく人間関係を構築するのに、こんなに気を使うのかと人生で一番頭を悩ませている。
他に考えることがないくらい、何かに集中できるならいいのに。それすら与えられない環境下で。
ただ苦悶に耐え続ける8時間。
なんて時間の無駄遣いしてるんだろう。
この半月。出張ヘルプ要請で来たのに、想像を絶する暇さだった。
暇は余計な考えを生む、しかも果てしなくマイナスな方向へ。暇で良かったとは考えられないほど、辛い。
人足りないからの、ヘルプでないのか。
楽しすぎて、頭がおかしくなるくらいなら
何もいらないから早くここから出して。
そう思う。あと1週間か長いな。
未来が見えるなら、こんな現実にはならなかった。
学校も就職も、付き合う人間も。
たくさんの傷痕にならずにすんだんだろう。
思い返される、消してしまいたい過去。
目に見えない傷痕が時々フラッシュバックして、今でも心をボロボロにしていく。
未来視が出来たら、それを回避出来るかもしれない。
無駄に遠回りするのが、徳を積むこと?
明日になるのが憂鬱になるから、眠れない夜も無くなるかもしれない。
とにかく、ちょっとでもいいから。
このしんどくて辛い日々を良い日だったと言える日に出来ますように。
と願うばかり。
自分の世界の他に、他人には他人の世界が広がっており。それは何処か羨ましく思えて、どこからともなくやってくる焦燥感や不安感。
を感じることがある。
他人の世界の一部しか見えないはずなのに、こんなに酷く落ち込むのは。
最初、無垢だった世界から徐々に彩色されたからだ。
自分には無い色だから、羨ましく思える。
1日でいいから何も知らなかった頃の無垢で無色な自分に戻りたい。
色合わせで共存することも、目立つ色でなければ成立しないことも。
知らなければ何も感じことができないのなら、だったら知らない方がマシだと思えたりする。