【これで最後】
「律さん…」
「駄目、職場だよ」
腰に手を回してくる柊の顔の前にすっと手を差し出す
静かな声、優しく触れる手
キスの合図だ
「…誰も居ないのにですか?」
「いなくても」
別に恋人だとか、そんな関係じゃないし、なんなら友人でもない
それでもこの男は、1度許されたからと、度々こういう声を出す
「ここをどこだと思ってんの?監視カメラくらいいくらでもあるんだよ」
「…はい」
少し拗ねたように距離をとる柊に、ため息をついて、腕を引く
「…こっち」
「え」
「……監視カメラが…」
「お前と違って知ってんの、死角」
「……もう1回、ダメですか…?」
「…これで最後ね」
絆されてなんか居ない
これで
最後だ
【君の名前を呼んだ日】
「東雲って結構人の事下の名前で呼ぶのに、柊くんのことは柊呼びだよね」
給湯室、インスタントのコーヒーを2杯淹れ、壁に体重を預ける同僚とつかの間の休憩を謳歌する
「あーたしかに?」
柊、自分が体験を受け持った後輩で、よく懐いてくれている彼を名前で呼んだ事は、言われてみれば1度もなかったかもしれない
「柊くんってフルネームなんだっけ」
「颯真だね、柊颯真」
「うわー…イケメンの名前だ」
そう語ちる男に苦笑いを返したあと、まあ確かに、と思い直す
「いいよねかっこよくて」
「律もなかなかだけどね、東雲律」
「中性的だから昔は苦手だったけどね」
「今度いきなり呼んでみたら?颯真って」
「怒られると思わせちゃうよ」
「褒めてあげればいいじゃん」
「……ん〜まあ、気が向いたらね」
そんな会話が、もう二時間前の事
「律さん!さっきの書類提出しようと思ってたんですけど、律さんに渡せばいいですか?」
「あー、うん、僕が預かっておくよ」
自分より若干上にある紫色の目に臆することなく視線を合わせる
「?律さん?」
「……いつも偉いね、颯真」
流石に頭を撫でるのはやりすぎか?と、肩を2回叩くことに留め、労いの言葉をかける
急な事に驚いたのか、動く気配のない柊の前に手をかざせば、はく、と音を伴わない声が漏れて、バッと距離が取られ顔が見えなくなった
「ひ、柊?」
「や、ッちょっと、驚いただけなんで」
手で顔を覆う柊に半歩近づき微笑みかける
「そんなに?もっと普段から褒めるべきだったね」
「……そっちじゃ、なくて」
「え?」
「…なんでもないです」
じゃあ、と逃げるように足早に去っていく彼の、短い髪の間から見える耳が、どうにも赤くなっているように見えたのはきっと気のせいなんだろう