好きじゃないのに、好意のあるふりをしてしまう。
誰にでも良い顔をして、後でいつも後悔する。
私はいわゆる八方美人というやつだ。
「嫌われるのが怖い」とか、そんな一時の感情で作り上げてしまった人間関係に辟易する毎日は、緩やかに、でも確実に私の精神を削っていった。
思春期の頃から何年もかけて養われた、私の人との関わり方。
それがもたらしたのは、幼子でも出来る様な初歩的なコミュニケーションすら取れなくなった自分だった。
自分の思っていることが言えない。
もはや自分が何を思っているかすら分からない。
何時でも相手に軽蔑されている様な気がする。
誰かと話すときに、間に一枚分厚い板がある様な気がし始めたのは、何歳の頃だっただろうか。
あの時から私は、ずっと人に恐怖している気がする。
誰かにいじめられたわけでもない。
親だって、変な人だけど、優しいし私のことを大切に思ってくれている、と思う。
大した理由もないのに、なぜ私はうまく呼吸ができなくなってしまったんだろう。
素直に、はっきりと自身の言いたいことを言えていた幼い頃の私は、外界との関わりを鮮明に感じて、触れて、学んで、成長していたと思う。
あの時、わたしは確かに生きていたと感じる。
人が生きる意味なんてわからないけど、幼い頃のわたしはひたむきに自分の人生を生きていた。
きらきらしたあの頃の世界を夢見て、ただ苦しみながら日々を過ごす今の生活もいつか、生きていたと言えるのだろうか。
今の私には、何もわからない。
私の目に映る風景というものは、きっとほとんど意味をなしていない。
いつだって私は思い込みで目の前の物質を見ているのだから、私の見たいように風景だって変容する。前あった数学の章末テストだって、ちゃんと解けたと思ったのに私がみていた問題をあとで見てみたら、その問題の内容は私が思っていた代物とは全然違う何かだった。
しっかり問題を見たと思っても、私は全然見えていなかったのだ。
だから、混ざりけのない瞳で風景をみることなんて、きっといつだってできやしない。
よほど綺麗か汚いものじゃなければ、自身に影響を及ぼすことは難しいだろう。
だからこそ、私の思い込みというものは、とんでもなく強くて恐ろしいとも思う。
私の眼に映っている限り、この世界はきっと私の思いによって、おおよそは作り上げたものなのだろう。 そうして自分で作り上げた幻想に、私は今日も一喜一憂する。
私って、とっても面倒臭い生き物だなぁってつくづく思う。