『祈り紙』というのが最近巷で流行っているらしい。折り紙かと思っていたら、『祈りをのせて書いた手紙』のことだそうだ。
中学生の娘曰く、内容は何でも良いがその手紙を届けるためにはちょっとした手順が必要なのだと言う。切手も住所も必要はないが、夜中3時に月明かり差し込む窓辺に立てかける。そしてその横にコップ1杯の牛乳と角砂糖3つを小皿に置いておく。何だかサンタへプレゼントのお願いを書くような、子どもであれば面白がってやるだろうな、と思わせる内容である。だが実際にその手順を踏んだ手紙は翌朝には無くなり、数日後同じ場所に返事が返ってくるのだそうだ。
「それは親とかが返事を書いて置いてるとかじゃないのか」
「ううん。私の友達は手書きで返ってきたらしいんだけど、家族にはない筆跡だったって」
それに、と娘は付け足す。
「これやってるのは子どもじゃなくて、お父さん世代とかおじいちゃんおばあちゃんが多いらしいよ。死んじゃった相手に向けて書くのが本来の『祈り紙』なんだって」
深夜2時。腕を組み、私の目の前には1枚の便箋と、いつもなら風呂上がりに飲むビールの代わりにコップに注がれたのは牛乳。そしてわざわざ閉店間際のスーパーで買ってきた角砂糖が3つテーブルの上に並んでいる。別に世間の流行りに乗りたがるタイプの人間ではない。だが、もし本当に届くのであれば送りたい相手はいる。はて何から書き出したら良いのか悩みに悩んで、かれこれ3時間ほどこうして便箋に向き合っている私が手紙を送りたいのは、妻だ。
妻がこの世を去ったのは4年前。娘が小学生5年生の秋だった。末期癌を患い、闘病の末彼女は病院で息を引き取った。最期の時を共に過ごすことはできたが、私が彼女に掛けた言葉は「がんばれ」だの、「大丈夫」だの、何と無責任だったことだろう。妻は十分に頑張っていたし、娘や家のことは全く大丈夫じゃなかった。少しでも安心して欲しくてかけた言葉は彼女にはどう聞こえただろう。困ったように笑う妻の顔は、すでに朧げになってしまった。
本来は届かぬこの思いを----それが例え嘘か本当かもわからぬ都市伝説だとしても----伝えることができるなら、私は手紙を送りたい。深呼吸をしペンを執った。書き出してしまえば、先ほどの躊躇が嘘のようにすらすらと書いていける。あえて見直しはせず(流石に恥ずかしい)、封筒に入れた私は、話の通り月明かりの差し込む窓に手紙を立てかけた。幸い、今日は雲もなく月がよく見える。牛乳と角砂糖も置いた。本当にこの手紙が無くなるのか、その瞬間を見たい気もするが流石に眠い。テーブルの上を片付けて寝室に向う前に、妻の写真に向けて「おやすみ」と声をかけた。心なしか写真の中の彼女が笑った気がした。
数日後、仕事を終え帰宅した私に、娘が興奮気味に手紙を渡して来た。封筒に書かれた【あなたへ】の文字。返事は、帰ってきた。ちょっと癖のある斜めの筆跡、懐かしい。
「これって、お母さんだよね?!お父さん、書いたの?!」
「…ああ、返事が来てよかったよ。夕飯、食べたら一緒に読もう。きっと、お前に向けても色々書いてあると思うよ」
どういう仕組みでこの手紙のやり取りができたのかは結局わからないが、この奇跡は事実だ。次もできるのか、それともこれきりなのか。例えもう届かないのだとしても、悔いはない。早く早く、と珍しく子どものようにはしゃぐ娘を嗜めながら、手紙を彼女の写真の前に置いた。ありがとう、と想いを寄せて。
お題【届かぬ思い】
祖父が亡くなった、と連絡が来たのは夜中の3時をまわった頃だった。枕元に置かれたスマホから軽快な音楽が鳴り、画面の眩しさに目を顰めながら出た私の耳に飛び込んできた内容に、それまで停止していた脳が一気に動き出した。ベッドから降りながら電話の相手に『始発で帰る』と伝え通話を終了し、ほとんど使っていないスーツケースに目につくものを詰め込んだ。
あれから一睡もせずに最寄りのバス停から駅、そして駅から始発の電車に乗るまで私は何も考えられなかった。正確に言えば『考えて手が止まる』のを避けるため、ただ機械のように準備と行動をしていた。空いている席を見つけて腰を落ち着けた瞬間、どっと疲れに身が沈んだ気がした。動き出した電車の振動に、ふわふわと睡魔が寄ってきたが、これから乗り継ぎがあるため何とか意識を繋いでおくため、リュックからイヤホンを取り出し音楽プレーヤーを起動させた。レポート作成、散歩、読書、、、と自分で作ったプレイリストたちの中に見覚えのないリスト名を見つけた。いつか酔った勢いで作ったのか、はたまたリスト名を変えたきり忘れていたのか。再び襲ってきた眠気を頭を振って、【私の思い出】と書かれたリストを再生させた。
最初の曲は子どもの頃に好きだったアニメの歌だった。しゃもじやお玉をマイク代わりにして両親や祖父母の前でよく歌っていたのを思い出す。音を外しても、歌詞を間違えても誰もそれを指摘せず、可愛がってくれていた。
次の曲は中学か高校生か、とにかく友達との話題に入れるようにと聴いていたアイドルグループの曲たち。当時興味もないドラマや音楽番組に、話題のアイドルが出るとなると慣れない夜更かしをしたものだった。次の日には観たドラマや歌の感想を言い合い、友達との関係を壊さんと努力した。それでもアニメや漫画は好きだったので、家族には学校では話さない自分の好きなものをひたすら話した。
流れていた曲が終わり、次は最近の曲かなと思っていたところで音が消えた。というより、何も再生されない。さっきの曲で終わりだったのか、と思って再び音楽プレーヤーのリストを確認しようと画面を見た瞬間、曲が流れ始めた。それは私が大学に進学するために地元を離れる、と祖父に伝えに行った時に流れていた曲だった。題名は知らない、でも母に聞くとそれは祖父が唯一好きでよく1人で流していた、とのことだった曲。題名を知らない私が、この曲をリストに入れることはできるはずがない。そしてリスト内の曲を見返してみて私は気づいた。これは『私』の思い出の曲ではなく、祖父の『私の思い出』である。
それに気づいた時、私は言葉にできない想いに息が詰まった気がした。そして息苦しさに慌てて深く息を吸った。鼻先がツンとして、熱い息が漏れる。祖父の顔を見るまでに涙を少し流しておこう。彼の思い出は、笑顔の私のまま終わって欲しいから。