身体が受け付けなくなっても
わたしは紅い液体をのむ
失われたものが なにか
わかりきっては いないけれど
わたしは紅い液体をのむ
階段をひとつ
踏み外したような空気が
わたしの脳を襲っても
わたしは紅い液体をのむ
しあわせだった
わらいあっていた
なにものもおそれていなかったころのわたし
刻まれた血潮をたどるように
海原からグラス一杯のワインを探す波は
すぐに見失い
わたしを除け者にする
そうだとしても
わたしはなぜ紅い流体をのむのか
波に漂うボトルメイルは
割れることなく
一度大航海をして
わたしの血潮にたどり着くだろうか
わたしはそれを願い
紅い流体となる
『紅い流体』
八月十四日。
今年もベランダに、死にかけの蝉がやってきた。
二〇秒。高く高く身じろぎもせずに、コンクリートのベランダに、はいつくばるようにして、高らかに鳴き、そして動きを停めた。
猫が、命が尽きるのを見届けるかのように窓ぎわで息を潜め、その距離十センチ、鼻先には厚く、室外機でさらに熱くなったガラスの向こうには、暑い外気。
ここは七階なぜここへ?
土へ落ちればいいものを。
緑に紛れればいいものを。
なぜここへ。
わたしになにをしてほしいのか。
動きを停めてから、完全に命が尽きるまで、一日はかかるのだ。
埋めてあげようと手を伸ばすと、決まってこのセミは、最後の力を振り絞って暴れる。
かわいそうで、ただ、完全に命が尽きるのを、わたしは猫とともに、ベランダの内側でひっそりと、息を潜めて待つのだ。
猫はまだ見ている。ぴくりとも動かない。ぴくりとも鳴かない。瞬きもせず、厚いガラスの向こうの、茶色い塊を見つめている。
その蝉は、左の翅が破れていた。
ここへたどり着くまでに、どこかにぶつかったのか。
思いは遂げたのか。
ただ生まれ、地上にあがり、そして鳴き、そして死ぬ。
ひと夏というにはあまりに短いその鳴き声は、蝉は命を謳歌できたのか。
尽きる直前までの高らかな歌は、煩いほどに猫の髭をはりつめさせた。
ベランダに死に場所を求めているとは思えない。
わたしに何か伝えたいことがあるのだ。そう思うことにしている。
埋めるのはあした。
満足したのか。
最期まで鳴けたのか。
猫はまだ蝉を見ている。
二度と動かない蝉を、今はいたわるようにして、寄り添う。
蝉はわたしに寄り添い、明日、土に埋める仕事を与えた。
ひと夏の感謝。
来年もきっと会おう。
わたしはそう伝えることにしている。
--ベランダの蝉
のんだの のんでないの?
5秒まえのわたし
あたまがかゆくてむいしきに
こりこり掻いてしまうみたいに
なかみがいたくてむいしきに
ぽりぽり飲んでしまう薬
びょうきをしてから あたまがうっすらぼやけていて
なにしてたかよくわすれるけど
あれしたいこれしたいいつできるかなって
あたまがいっぱいがんばっているから
心ころころ転がって
ここにあらず
ふたつぶの痛み止めは
にかいも飲んだらふーらふら
ごみぶくろをのぞきこみ
のんだの のんでないの?
10秒まえのわたし
二階にとことこ走るねこ
追いかけていっしょにねそべって
きづいたらくすりはおきざりで
めがさめたら目の前で
きみのくるくる澄んだ瞳が
わたしをのぞき込んでいた
濁ったきもちも少しだけ
とことこ晴れてくそんな午後。
じかんがぐすり
ねこぐすり
--くすりのじかん
あたし翼をなくしたの
そう言ってぼくに背中を見せたきみは、
きれいな肩甲骨には自由自在にへこむくぼみがあって
ぼくはきみをずっと裏返して見ていたくなる。
園芸用のスコップには、
小さな苗を小さな鉢植えに寄せるための
それは小さなスコップがあって、
それがぴったりな大きさだ、
なんてことを考えながらぼくはきく。
なくした翼はどうしたの?
さあ、なにしろいたくて、いっぱい血が出たから、
いたみをふさぐことに、あたし夢中になったから、
消えたつばさがどこへ行ったかなんて、
ぜんぜん覚えてないんだもの。
柔らかいはだに、爪を立てたい気持ちに蓋をして、
口を開いて、心を探る
傷なんか一筋だって、ついてない。
見えないの?
見えないよ。
変ね。でもまあ、いっか。
翼がもげた傷なんて、じぶんにはみえるわけはないんだから、
きみはきっと嘘をついている。
でも絶対そうだとも、いいきれなくてぼくは、
肩甲骨のくぼみに指を3本はわして、
痛かったねときみを抱く。
--DIMPLE on the BACK.