skymaple

Open App

 八月十四日。

 今年もベランダに、死にかけの蝉がやってきた。
 二〇秒。高く高く身じろぎもせずに、コンクリートのベランダに、はいつくばるようにして、高らかに鳴き、そして動きを停めた。

 猫が、命が尽きるのを見届けるかのように窓ぎわで息を潜め、その距離十センチ、鼻先には厚く、室外機でさらに熱くなったガラスの向こうには、暑い外気。

 ここは七階なぜここへ?
 土へ落ちればいいものを。
 緑に紛れればいいものを。

 なぜここへ。
 わたしになにをしてほしいのか。

 動きを停めてから、完全に命が尽きるまで、一日はかかるのだ。
 埋めてあげようと手を伸ばすと、決まってこのセミは、最後の力を振り絞って暴れる。
 かわいそうで、ただ、完全に命が尽きるのを、わたしは猫とともに、ベランダの内側でひっそりと、息を潜めて待つのだ。

 猫はまだ見ている。ぴくりとも動かない。ぴくりとも鳴かない。瞬きもせず、厚いガラスの向こうの、茶色い塊を見つめている。

 その蝉は、左の翅が破れていた。
 ここへたどり着くまでに、どこかにぶつかったのか。
 思いは遂げたのか。
 ただ生まれ、地上にあがり、そして鳴き、そして死ぬ。
 ひと夏というにはあまりに短いその鳴き声は、蝉は命を謳歌できたのか。

 尽きる直前までの高らかな歌は、煩いほどに猫の髭をはりつめさせた。
 ベランダに死に場所を求めているとは思えない。
 わたしに何か伝えたいことがあるのだ。そう思うことにしている。

 埋めるのはあした。

 満足したのか。
 最期まで鳴けたのか。

 猫はまだ蝉を見ている。
 二度と動かない蝉を、今はいたわるようにして、寄り添う。

 蝉はわたしに寄り添い、明日、土に埋める仕事を与えた。

 ひと夏の感謝。
 来年もきっと会おう。
 わたしはそう伝えることにしている。

                   --ベランダの蝉

11/14/2023, 4:20:50 AM