僕には
僕の部屋は大きな庭だった。
隅の木陰に隠れれば、誰からも干渉されなくてすむし、毎日手入れされて綺麗だけど、誰も見向きもしない。時々お客さんが外廊下から横目を流すだけ。
御屋敷の内側は、僕の部屋なんてない。なるべく人目につかないように、隠れて居なくちゃいけないから。気に障ると、大きな蔵に閉じ込められる。真っ暗で怖い。牢屋みたいなところがあって、昔一度だけ、人がいるのを見たことがある。忘れろとお父様に言われた。その頃はまだ家族がいたのかな?
でも、たぶん僕のいられるところなんてない。
お家はあるのに僕の家族はいない。
ある日突然、僕の部屋がなくなってしまった。
御屋敷からも遠く離れた。
もうあの綺麗な庭にいられないなんて、少し寂しと思ったけど、それよりもずっと嬉しかった。
家族のお家ができると思った。僕に内側の部屋ができるかとわくわくした。
新しい僕の部屋は山だった。前よりも大きな木と広い空間。荒れてはいるけれど、静かで心地良い。
建物は、大きな御屋敷から、小さな小屋になったけど、僕にはあんまり居心地のいいところではなかった。
やっぱり僕には内側は似合わない。居てはいけないんだ。
家族の家ってなんだろう?
僕の庭のすぐ下に、一軒だけお家があった。
僕ぐらいの年の女の子が一人と、大人の女の人と大人の男の人が住んでいるみたい。
その女の子は、時々女の人に外に引っ張られていくのを見る。
女の子は泣いてドアを叩いてた。
なんでだろう?内側よりも外側の方が居心地が良いのに。
悲しい思いをしなくていいのに。
あんまり酷く泣くものだから可哀想で、話しかけに行ってみた。
僕を見て、泣きやんだ。と思ったら今度はもっと酷く泣いてドアを酷く叩き始めた。
するとドアがあいて、女の人が出ててきた。
一瞬驚いて、すぐに僕を睨んで、女の子を抱きしめた。
僕に言った。
「うちの子に何したの?!あんた誰よ!どっか行って!!!」
怒鳴り声が耳に残った。
僕はただ、僕の庭に来ないか?と聞いただけなのに。
それから、女の子は外に引っ張られることはなかった。
女の人が洗濯を干したり、女の子が男の人と楽しそうに遊んだりしていた。
僕はふと思った。
あれが家族というものなのか?あの女の人がお母さんで、男の人がお父さんなのか。
お父さん。
昔、僕のお母さんは僕に言った。
「お母さんはお父さんに恋したの。愛されたの。愛したの。そうやって幸せになるのよ。」って。でもそのお父さんはお母さんを牢屋に入れていた。お父さんはたくさんの子供がいて、いつも綺麗なドレスを着た、女の人のそばにいた。
お母さんは愛をもらったけど、愛があれば家族じゃないの?
お母さんのもらった愛は、なんだったんだろうね。
僕は何なんだろう。
恋
もう心臓を早く動かすのは疲れたし、心が痛むのも嫌なの。
もっと心地良かったらいいのに。
いつもいつも、疲れるばかり。
なにも聞きたくなくなるじゃない。
夢
もう割り切ったと思ってたわ。
けれども、夢で現れた王子様は、幻みたいに消えちゃいそうだった。夢だものしかないよね。
夢の中の私は必死で貴方が消えてしまわないように、ずっとここにいられるように、頑張ってた。
だけど、結局最後にプールみたいなところに落ちたの。
足がつくほどの深さだと思っていたのに、落ちると深くて、奇妙な魚が私を襲ってきた。
溺れそうになりながら、もがいた。
やっと上に上がれそうなところで、王子様が手を差し伸べてくれた。
嬉しかった。
とっくに消えてしまったかと思っていた。
引き上げてもらったのと同時に夢から覚めてしまった。
どうして貴方はまた、私の夢に出てくるの?
落とし穴
落ちたらだめ。
嫉妬や欲望の穴に落ちたら、あとは少しずつ心臓が傷んで、蝕まれる感情に壊れるだけ。
そのうち、自分の心がどこにあるのか分からなくなってどうでも良くなってしまう。
日が沈むごとに気分も沈みこんで、朝日が昇るのが目に映る。
ゆらゆら日々生きるだけで、ブランコに乗ったように酔う。
深い穴に落ちたなら、誰か一人のちからでは引き上げられない。たくさんの人に助けてと言わなければならない。
落ちたところが深すぎたら気づいてもらうのだって難しい。
落ちた先に針がびっしり敷かれて、落ちたと同時に串刺しになるかも。
落ちた先に大きな怪獣が住んで襲ってくるかも。
落ちた先にたくさんの宝が眠っているかも。
でもきっと、穴の外に出られても、無くした心を探すばかりに周りが見えなくなって、ふとしたときまた新たな穴に落ちるのかも。
貴方に似た、あの人。
同じ赤色の本が目の前の棚にあるか、手の届かない高い棚にあるかの違いで。
作者も内容もちがうんだろうけど、私はどちらの本も読んだことがない。
だから、どっちを取ったって順番が変わるだけで、またあとで読めばいいだけ。
それなのに、どうして?
私が順番を間違えただけで、あの人はそこまで私を怒鳴るの?
彼は私がもう片方を読み終えるのを、棚の中で待っていてくれたのに。
でも、もうしかたないから、逃げることにしたの。
貴方の街から遠く離れた海辺の街に。
海は思ったほど綺麗じゃなかった。曇った空と鉛色の海は空をそのまま映したみたいで憎たらしい。
貴方と貴方の子供もそうなんじゃない?
しばらく住んで、ふと思い出した。
あの時私は、高い棚の本を読んでいない。
手に取ろうとしてやめてしまった。
今更思い返すのは心臓にくる。
もうやめてしまいたい。
幸い、夏祭りがあるそうで、小さな心の思い出を思い返した。
いつか誰かと、一度だけ海辺の街の小さな祭りに行ったことがあった。
その祭りで水風船を買ってもらった。
その夜があまりに幸せで、私はもう一生ここにいられたらといいと思った。
この手を握るこの人と結婚したいと思った。
私は何歳だった?その人は誰だったの?
ならば、人生最後、行ってみようかしら。
赤色の貴方がいるかもしれない。
そう思った。屋台で赤色の水風船をあの頃のように、釣り上げた。
そして、赤色の水風船に誓った。
「もし、この水風船がしぼむ前に貴方が迎えに来なければ、水風船とともに、私も海に沈もう」と。
やけに気分のいい夜は、それが最後だと私に言い放つ。
私は貴方を心のなかに、おいて置きすぎたのかもしれない。
心の奥の「私」に一番近いところに。
だから、貴方を特別だと思ったのかな。
とっくにすぐ、捨てられたかもしれないのに、
今でも、貴方は特別だったのよってどこかで聞こえる。
バイト代で、貴方の特別のために出かける予定だったけれど、もう行かないのかな。
私は私の中で崩れる貴方に、妄想と想像の真実を探す。