花言葉というものは時々ひどく理不尽に感ぜられる。移り気と辛抱強さ、無常と元気、浮気と寛容をグラデーションだと意味づけられたとして、わたしが紫陽花ならひどい濡れ衣を着せられたものだと怒ってしまうだろう。
移り気なものに辛抱を求めてはいけないし、元気なときは永遠ではない、だから浮気には寛容であるべきなのだ、言葉の流れとしてはそういうことになってしまう。変えたくて色を変えているわけではないのに、そこに悪い意味を見いだされたらたまったものではない。
だいたい人によって言っていることがまるで違うのである。わたしたちは花が喋る言語を幻視している。
花を見るときはきれいだと思うだけでいいし、ただきれいなものを見てほしいから、という気持ちで送ればよい。
花束に地雷を仕込んではいけない。
探そうとしてもいけない。
そこに愛以外のなにかは無い。
(あじさい)
後悔している。ほんとうのことを言うとひとを傷つけてしまうと、気づくまでに時間がかかりすぎたこと。
反省している。嘘をつかず素直な気持ちを話すことは、いついかなるときも美徳だと信じていたこと。
嘘をつくのがうまいひとは、いつもほんとうのことの中にすこしだけ嘘を混ぜているのだ、そう言われているからきっとそうなんだろう。
だから私は正直者です。嘘をつくのもうまいです。
ねじれていないと生きていてはいけない。
正直でいられる人が馬鹿を見なければいい、それしか願っていないのに、それが難しい。
(正直)
紫陽花が似合うあなたはいつでも冷たい雨に打たれている。濡れそぼった髪が額にはりつくのをどこか気だるげにかき上げる、その仕草がうつくしいと思う。
頬を伝う雨にどれだけの涙が隠れているのか、わたしたちが知ることはけして許されない。あなたはいつも曇り硝子の向こうにいる、雨はあなたの本当を洗い流す。足元には群青色の海がたまる、波は穏やかできれいだ、けれどいつもすこしだけ濁っている。
降りつづける雨がせめて暖かければいいのにと願う、けれど横殴りの雨が降る嵐の中で磨かれ続けた正しさが、その正しさがけして報われないことが、わたしちの胸を穿つ雨だれとなる。
あなたが六月に生まれると決めたのは誰だろう。
あなたには雨が似合う、哀しくてやりきれない。
(梅雨)
「すみません」が口癖になっている人。
全部「ありがとう」に変えてみましょう。
ちょっと幸せになれます。
(「ごめんね」)
小麦色の肌がよく似合うね、なんて言われてるあの子の肌が本当はひどく白いことを、いったい何人が知っているのだろう。
季節外れの真夏日がささやかれるたびにあの子を思いだす。あの子はいつもきれいだ、けれど半袖と素肌の境目にくっきりと引かれた線、あれだけはどうにも残酷で好きになれないよ。
太陽はいつもあの子にだけ厳しすぎる、あなたがそんなに頑張る必要はないんだよと、誰が言ってもあの子は困ったように微笑むだけだ。あなたには届かないから美しいんだ、そんなフレーズが頭を過る。
今年の夏はあの子に優しくしてくれるかな。
だったらいい、と切に願う。
あなたには太陽より月が似合う、それでも日の当たる所にしかいられないんだろう。
(半袖)